電車のホームで、ご年配の男性が不機嫌そうな面持ちで立っていた。
その周りには、男性の顔色を伺う、少し若い、といっても
ある程度の年を重ねた男性陣がご年配の男性を取り囲むようにして立っていた。
彼らの周りだけ、明らかに異なる空気が漂っており、
私は場所を移動すべきかどうか迷った。
「最近の若者は喧嘩の仕方もしらんのか」と、突然、男性の声が耳に届く。
「(暑さは人をカリカリさせますなぁ)」と暢気なことを思いながら、
私は周囲の状況を見守ることにした。
そう言えば、昔の書物や歴史に触れていると喧嘩や戦には、
お作法というべきか、礼儀というべきか、ルールのようなものがあることが分かる。
沸いた感情をいきなり相手にぶつけるのではなく、
段階を経て、必要であればお互いの合意の上、喧嘩や戦が行われる。
段階を経る中で相手が振り上げた拳を下したのなら、
こちらも、それ以上は何もせずに普段通りに振舞うというものだ。
このような暗黙のルールがあったおかげで、
突然大きな喧嘩が勃発することはなく、
喧嘩が起きたとしても何でもありというようなものでもなく、
風通しの良い喧嘩で、見届け人もいた。
そう思えば、感情に飲み込まれて妙な拗れ方をするような喧嘩は、
現代ほど多くはなかったのかもしれない。
ご年配の方が発した「喧嘩の仕方」という言葉。
私はそのような言葉を使い慣れていないことに、その時に気が付いた。
そして、いつだったか忘れてしまったのだけれども、
お仕事をご一緒していた方がこのような事を言ったことがあった。
笑顔が笑顔を引き寄せるように、理性は理性を、怒りは怒りを引き寄せると。
相手に対して思うことはあったとしても、
一旦、自分自身を落ち着かせるためにも状況を俯瞰で捉えて理性を解き放つと、
違う道筋が浮かび上がると。
頭では分かるし、そうありたいとも思う。
ただ、「時と場合と相手によりけり」と心の中で思ってしまう私は、
先人たちのようにある意味、気持ちの良い上手な喧嘩はできないような気もして、
まだまだ未熟だな、と思う。
きっと、「喧嘩の仕方」と聞いて、使い慣れない、耳慣れない気がするのは、
実年齢は別として、ご年配の方が言う「最近の若い者は」の部類に属するのだろう。
もちろん、争いごとには出来るだけ遭遇したくはないというのが本音で、
今のところ、ありがたいことに割と平穏な日々なのだけれども。
そのような事を思っていると、ご年配の方の大きな笑い声が耳に届いた。
ご機嫌が直ったのだろう。
お付きの方々の緊張も解けたようで、私も人ごとながらホッとした。
皆さんは、上手に喧嘩できますか?