書棚を整理していて思うことがある。
どうして私は同じ本を何冊も所持しているのだろうか、と。
厳密に言うと全く同じ本というわけではなく、
例えば万葉集や古事記といった本が4、5冊ずつあったりするのだ。
翻訳している方が違っていたり、挿絵の雰囲気が違っていたり、編集や構成が異なると、
感じることや気付くこと、見える世界にも変化が表れることがあるため、
つい新しいものを見かけると、とりあえず手に取ってしまうのかもしれない。
だから時々、こうして手元に置いておくものを厳選している。
数日前には、好きな画家のポストカードがファイルからバサバサッと落ちてきた。
こちらは全く同じ絵柄のものが7、8枚落ちてきた。
余程好きなのだろう。
誰かにメッセージを送るときに使うかもと思い多めに購入したのだろうけれど、好きすぎて使えない。
そして、個性的過ぎるがゆえに、送る相手のことを思うと使う機会も限られてくる。
何をやってるんだか。
とりあえず1枚は栞として使うことにして、次の休みには、もう一歩踏み込んだ断捨離をしよう。
そう心に決めて本をパラパラと捲った。
捲ったページじょうにあった「鮑」の文字に目が留まった。
先人たちがしたためた和歌の中には「鮑」が度々登場する。
「磯の鮑の片思い」という言葉があるのだけれど、
鮑は片思いを表す言葉なのだ。
学生の頃は、この奥ゆかしさを咀嚼しきれずに、
シンプルに片思いと言えばいいじゃないと思ったこともあっただけれど、
何度もこの言葉に触れるうちに、
先人たちの遊び心や、洒落っ気にも触れたようで、記憶に残る言葉のひとつとなった。
鮑は2枚の貝として生まれるのだけれど、生後2週間ほどで片方の貝を捨ててしまうのだとか。
このため、貝の身は片方にのみ付くことになり、
片方のみが重くなることから片思いと呼ばれるようになったという説や
片方が捨てられてしまう様子から片思いと呼ばれるようになったという説などがある。
鮑は先人たちにとって切なさを連想させるものでもあったのだ。
そして現代では、この和歌に登場する「鮑」に由来して、
お寿司屋さんでは鮑のことを「片思い」と呼ぶのだそう。
これは、お客の立場で使う機会はない、お寿司屋さんの隠語なのだけれど、
日本の伝統食であるお寿司の背景には、
ちょっぴりロマンティックが隠されていたりするのだ。
先日も熨斗のお話で触れたのだけれども、
鮑は古くは朝廷への貢物に、お祝いのときのお食事にと重宝されていたため、
干し鮑にして保存していたという。
スライスしたアワビを平らに伸ばして干したものをカットし、
贈り物に重ねるようにして添えていた風習が熨斗(のし)の始まり。
今でも格式ある贈りものの場合には包み紙の上に本物の熨斗鮑を添えたりもするけれど、
通常は、紙の端に、長六角形の中央に鮑を表した黄色い長方形のものが包まれている柄を添えたものを熨斗(のし)として使っている。
鮑、美味しいだけではなく、至る所で大活躍じゃないか!
そのようなことを思いつつパラパラと捲っていた本にポストカードを挟んで閉じた。
鮑を召し上がる際には「磯の鮑の片思い」、思い出していただけましたら嬉しいです。
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