縁あって譲り受けた扇子を引き出しから取り出した。
扇面には紫陽花が、中骨には透かし彫と蝶があしらわれているお気に入りの1本である。
絵柄が紫陽花ということもあり、使用できるのは梅雨が明ける頃までの短い期間ではあるのだけれど、近頃の私の愛用品は扇子ではなくハンディファン。
使用機会は激減しているけれど、広げて眺めるだけでも気持ちが涼むような気がして、時折、お手入れを兼ねて広げて楽しんでいる。
譲り受けたときには白木のような明るさがあった中骨は、いつの間にかシックな飴色に変化し、金色で散りばめられた蝶も、軽やかでありながらも貫禄が感じられる蝶に変化してきている。
このような変化を「劣化」と呼ぶことがあるけれど、これは、セルフヴィンテージに仕上げている最中で、その過程を楽しんでいるのだと思うと、お気に入りに対する愛おしさも一味違ったものになるように思う。
モノに限らず、人や自分に対しても、そのような楽しみ方の視点があれば、豊かな時間を重ねていくことができるのではないか、とも。
扇子と言えば、その用途は様々である。
礼装に合わせて持ち、お作法やコミュニケーションのツールとして使用したり、装飾品として携帯してみたり、扇いで涼を取ることもあれば、邪気を祓ったり、口元や顔を覆うことに使用したりと幅広く、古のちょっとした万能アイテムといったところだろうか。
今でも、似たような用途で使用されていることもあり、それ以外の用途を思い浮かべることの方が難しいのだけれど、扇子はもともと、今でいうところのメモ帳のようなものだったという。
先人たちの時代、宮中には多くの複雑なお作法があった。
現代の私たちからすれば、それら全てを覚えるだけでも一苦労じゃないかと思ってしまうのだけれど、そう感じるのは私たちだけではなかったようで、先人たちも公の場でお作法を忘れて困らぬようにと、
扇子の扇面にお作法や覚えておきたいことなどを書き記しておき、困ると扇子を開いて確認していたのだとか。
当初の扇子は、この様にメモ帳として使われていたので、サイズは今よりも大きいもので、細い短冊状の木片を重ね合わせたシンプルな作りのものだったようだ。
木片の素材までは分からないのだけれど、檜(ヒノキ)製のものが主流だったのか、この、扇子のもとになったものは檜扇(ひおうぎ)と呼ばれている。
そして、男性のものだった扇子を、宮中に居る女性たちが使うようになると、扇面に色を付けたり絵が描き添えられるなどの手が加えられるようになり、メモ帳としてだけでなく、装飾品や扇ぐ道具としても楽しまれるようになったそうだ。
いつだったか、先人が使っていた檜扇(ひおうぎ)の写真資料を目にする機会があったのだけれど、扇面にはびっしりと文字が敷き詰められており、先人のカンニング跡、いや、苦労を垣間見たような気がした。
根本的な部分は、いつの時代も、似たり寄ったりである。
そのようなことを思いながら紫陽花の扇子を広げた日。
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