あ、もう夕方。
射し込む陽射しの色に誘われるようにして時計を見た。
時計の針は午後3時を回ったばかりで、夕方と呼ぶにはまだ早い時間だった。
「どう見たって夕方の陽射しだと思ったのに。」
季節に、してやられたような……、そのような気分を紛らわすかのようにひとり言が漏れた。
冬の陽射しと少しずつ漂い始めた師走感。
今年こそは、ゆったりと過ごしたい、そう思ってはいるのだけれど、どうなることやら。
先日、とある場所で順番待ちをしていたときのこと。
既に、ざわざわっとした師走の空気に包まれたそこには、時間潰しのテレビが置いてあった。
このような場所では、リモコンは人の目が届かない場所に置いてありそうなのだけれど、
そのテレビのリモコンはテレビの横に無造作に置いてあった。
スマートフォン内のアプリに収めていた書籍をパラパラとめくっていると、
耳に届くテレビ番組の音声が忙しなく変わっていることに気が付いた。
顔を上げると、リモコンの存在に気付いた誰かがザッピングしていた。
あまりにも高速すぎて、周りに居る方々の表情やまとう空気が徐々に険しいものに。
少しでも早く用事を済ませられた方が良い気分になれることが多い。
きっと、限られた時間を無駄にしたくないという気持ちが働くのだろうけれど、
その用事を済ませるまでの待ち時間のような中にも、
思わぬ発見があったりすることもあると思うのだ。
偶然手に取った雑誌の中から素敵なメッセージを目にすることができたり、
今の自分が探していた情報を手にすることが出来たり、
何かピーンッと閃いたり。
ちょっとした素敵な出会いが潜んでいるかもしれないし、
微笑ましい瞬間に立ち会うことができるかもしれない。
そのようなスペシャルな「何か」は無かったけれど、
ぼーっと頭の中を空っぽにして気持ちと体を休めることができた、ということも。
始めたことや始まったことは、いつか、終わるようにできている。
待ち時間も然り。
それならば、それまでの時間をぴゅーっと駆け抜けるのもいいけれど、
いつか終わるのならば、済むのならば、
ふーっと肩の力を抜いて過ごしてみるのも良いと思うのだ。
肩の力が抜けないとき、そのような気持ちになれないときは、焦りがあるとき。
実際に、次の何かが控えていて焦っている場合もあるし、
焦らなくてはいけない場合も、もちろんあるのだけれど、
特別な理由がないにも関わらず焦っているときというのは、
「早く済ませられること、早く終わること=良いこと」という思い癖も意外と多い。
思い癖を横に置いて、この待ち時間に何をしようかな?と思ってみると、
モノゴトがゆっくりと進んでいくことも、そう悪いことではなく、
時間という名のプチプレゼントが届けられたように感じることもできるのではないだろうか。
肩の力が抜けたとき、改めて辺りを見回してみると、
肩の力を抜き忘れている人たちや、
そのざわざわっとした空気に飲み込まれている人たちの多さに気付いたりもして。
師走の空気に飲み込まれ、焦りの思い癖が出てきたら、
ふーっと肩の力を抜いて、『指つかみ』なんていかがでしょうか。
詰め寄る師走感、軽やかに、しなやかに、かわしてまいりましょ。