久しぶりに、んんんっと目を見開くような美味しさのかんぴょう巻きに出会った。
手間暇かかる一品だということや、
職人の腕が出る一品だということは存じ上げているのだけれど、
お世辞にも鮮やかとは言い難いその出で立ちと、
薄っすらと残る、子どもの頃から得意ではなかったその甘さの記憶故に、
過度な期待をしないまま口に運んでしまうことが多い。
その日も、食事の後半に何となく口に運んだのだけれども、
ハッとさせられ、しばしの間、ほんのりと上品な甘さのそれを、じっくりと口の中で楽しんだ。
意識して味わうことで感じられた美味しさに、
単純だけれども、またほんの少し、大人の深みが増したような気分になった。
“巻きもの”と呼ばれるものは色々あるけれど、
マグロを巻いた鉄火巻きは、どうして鉄火巻きと呼ぶのだろう。
遠い日の出来事だけれども、寿司屋の大将にそう尋ねたことがあった。
文字の並びから察するに、熱を宿した鉄の赤さとマグロの赤を重ね合わせたのだろうか。
安直すぎるかと思ったけれども、そう話す私に、それも間違いではないけれど、
意外な説もあるのだと、大将は続けた。
今で言うギャンブル場のことを昔は博打場(ばくちば)と呼んでおり、
その博打場に集まってくるような荒くれ者たちのことを鉄火と呼んでいたのだそう。
その鉄火が集まる場所ということで博打場は、鉄火場とも呼ばれることもあったという。
鉄火たちは、できるだけ賭け事に集中しながらできる食事を求めており、
当時は、片手で摘まんで食べられる“かんぴょう巻き”が定番メニューだったようなのだけれども、
かんぴょう巻きに飽きた鉄火たちはマグロを海苔で巻いて食べるようになったという。
鉄火たちが食べる巻きものということで、マグロの巻きものは鉄火巻きと呼ばれるようになり、
いつの間にか博打場へ行かない人たちの間にまで広がり定着した、という説もあるのだそう。
私が素朴な疑問を投げかけた寿司屋の大将は、こちらの説を好んでいるようだった。
確かに、ちょっぴりドラマティックですものね。
私は、鉄火巻きを味わいながら、サンドウィッチ伯爵位のモンタギューさんのことを思い出した。
日本に限らず、時代に限らず、賭け事やゲームに興じる人たちにとっての食事は、
お手軽さが不可欠なのかもしれないと。
鉄火巻きを召し上がる機会がありましたら、
お好きな背景をちらり、思い出していただけましたら幸いです。
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