お正月料理を堪能し、ほろ酔いのままキッチンへと向かった。
腹ごなしも兼ねてリビングから漏れ聞こえてくるスポーツの実況中継を拾い聞きしながら、
好物のあれやこれやの余韻にも浸りつつ、
怠惰丸出しで、お手伝いロボットが欲しいわ、と
便利を極めつくしたかのような未来への妄想をちらつかせ、後片付けを始めた。
しばらくすると、負けていたチームが勢いを盛り返し反撃に出たのだろう。
実況中継する声が「追撃」という言葉を連呼していた。
いつだったか、漢字に強いこだわりを持っている方が、このようなことを熱く語っていた。
追撃とは、勝っている側が負けている側を追う言葉で、
負けている側の勢いを取り戻して反撃に出ることではない。むしろ、全く逆の意味だと。
当時の私は、あぁ、本来はそういう意味なのか、とその方の話を聞いていたのだれど、
追撃という言葉と共にテレビ画面の中の選手たちを見ると、
私の脳内は、今でも少しだけ混乱する。
見慣れた光景に使われる追撃という言葉は間違った使われ方をする場合が多いけれど、
「追撃」という言葉のイメージは、
負けている側が勢いを取り戻して反撃に出る様子にぴったりだと思ってしまうのだ。
頭に気持ちが付いていかないような、取り残されたような、不思議な気分にさせられる言葉だ。
久しぶりに、そのような混乱を思い出したことが引き金となったのか、
昨年末のある出来事をつられるようにして思い出した。
その日の私は、今にも雨が降り出しそうな空を見上げながら、
先へ進むべきか、様子を見るべきか迷っていた。
すると、雨模様(あまもよう)ね、と横でひとり言を呟き一歩を踏み出したご婦人が居た。
「あめもよう」ではなく「あまもよう」。
この風情漂う響きに、冷えきった私の体が優しい熱を取り戻したようでもあった。
そして、言葉が好きだという恩師が、「雨模様」という言葉について、
このようなことを話してくれたことがあった。
「雨模様」は雨が降っている状態を表していいるのではなく、
今にも雨が降り出しそうな状態を表しているのだけれど、
既に雨が降っている状態を表すときに使われることが多くて少し残念に思っているのだと。
もし、あなたたちがどちらを使えばいいのか迷ったときには、
「雨が降り出す前の模様が空いっぱいに広がっているから雨模様」と覚えてみてはどうかしら、と提案したのだ。
そう言われると雨が降っている状態に雨模様とは感覚として使えなくなるでしょ、と。
そして、「あめ模様」という響きが似合う場では「あめ模様」と言い。
「あま模様」が似合う場では「あま模様」と言い分けて、景色で遊んでみてはどうかしら、と続けた。
彼女は、食材を調理してお皿に盛りつけるのと変わらないくらい手際よく
言葉を調理していたのだなと、これを書きながら思い出した。
既に私が知らない遠い場所へ旅立ってしまっている彼女だけれど、
彼女の感性は、ほんの少し姿形を変えて私の中に、彼女の面影と共に今も在るのだと思う。
気持ちよく酔えていたということだろうか。
その日の私は、遠い昔にお世話になった方々のことを色々と思い出した。
たくさんの素敵な言葉と共に。
いい年明けだ。