昨年の大晦日の夜は、普段よりも少し早く家を出て初詣へと向かった。
小雨がパラついていたからだろうか。
思っていたよりも気温が穏やかで、すぐに体温の上昇を感じた。
いつも真夜中まで車の往来がある通りはシンと静まり返っており、
信号機の色と街の明かりが濡れたアスファルトに反射し、
見慣れているはずの景色は、艶めかしさと厳かさの狭間を揺れているようにも見えた。
神社へ向かう道すがら、遠くから除夜の鐘が聞こえ始め、
煩悩は、そう簡単には無くならないよな、そのようなことを思いつつ、
白い息を吐きながら神社の石段を一歩ずつ上った。
お詣りの列、最後尾に並び空を仰ぐと、年が明けたばかりという意識が働いてのことだろう、
普段よりも数割増し魅力的な夜空が広がっているように思えた。
パチパチと弾ける焚火の音と、立ち上りながら揺れる炎を眺めていると、
目が暗闇に慣れ、辺りに植えられている木々の輪郭が徐々に鮮明になるのを感じた。
炎に照らされた蕾のようなものに気が付いた。
こういうものは、ひとつに気付いてしまうと、
その辺りにあるそれら全てが浮き上がるように見え始めることがある。
うわっ、こんなにも沢山あったのか……。
そのようなことを思いながら少し離れたところにある木に目を凝らすと、
猫の尻尾のような見た目でお馴染みの猫柳だった。
フラワーショップでアルバイトをしていた時にひと通り覚えた知識だけれども、
猫柳の名前の由来は、その猫の尻尾のような見た目と
柳科の植物であることから、見た目よりもしなやかに曲がる枝であることから
シンプルに猫柳と名付けられており、
花言葉も、気まま、自由、思うがままといった、
猫の性質を連想させるようなものが多かったように記憶している。
一見地味にも見える猫柳だけれども春を告げる縁起の良い木としても人気があり、
銀色の房をふわっふわに膨らませた満開の状態は、この季節の青空に良く映える。
しかし、私が興味を持ったのは名前の由来でも花言葉でもなく、
猫柳がコンパスプランツであること、だ。
コンパスプラント(コンパスプランツ)とは、方向指標植物とも言われるのだけれど、
簡単に言うと、花や蕾の向きで方角を知ることができる植物ということ。
猫柳であれば、猫の尻尾のような房は、些細な温度差を見逃さない性質があり、
房のひとつ、ひとつが必ず南側から成長し、開花する。
と言うことは、ふわっふわのそれの先を確認すると北向きに反り返っているということ。
もし、山歩きをしていて道に迷い、運悪くコンパスを持っていなくても、
このようなコンパスプラントの存在を知っていれば、危険を回避できることもある。
街中で思わぬ事態に遭遇しても辺りに植えられている木々の中から、
コンパスプラントを見つけ、向かう先をある程度絞ることもできたりする。
猫柳は自由気ままに、ふわっふわを見せつけているように見えて、
なかなか頼りになる植物でもあるのだ。
新年を迎えたばかりの私の目に留まった猫柳。
満開と呼べるほどの銀色には少々遠く、咲く時期にも早い気がしたのだけれど、
ふわっとした見た目は十分に猫柳で、あの猫柳の咲き時は「今」だったのだろう。
そして、厳かな空気の中、炎に照らされた姿は幻想的でもあった。