昨年末に準備したお正月用の切り花が未だに元気に咲いてくれている。
幾度となく行った水あげが功を奏したのだろう。
一度はそのお役目を終えようとしていた花たちが息を吹き返し、
気付けば一か月ほど咲き続けてくれている。
もちろん、随分と小さなブーケスタイルに姿を変えてはいるのだけれど
リビングに解き放たれる輝きは年末の頃と変わらないように思う。
そろそろ、このミニブーケにチューリップやスイートピーといった花を加えて
春らしいブーケにしてみるのも素敵かしら。
そのような計画を脳内に巡らせながら、
ガラス製のティーポットの中を悠々かつ豪快に浮遊する茶葉を眺めつつ、
“美味しくなあれ”そのような呪文も久しぶりに唱えてみた。
いつもより少しだけ丁寧に淹れた紅茶に対して高まる期待。
結果としては、いつもの味と大差はなく、少々残念だけれども私の腕ではなく、
誰でも美味しく淹れられるように造られている世の中の紅茶技術に軍配があがったような気がした。
リビングから外へ視線を向けると、ひらひらりと舞う雪が目に入る。
どうりで冷えるはずだ。
紅茶をひと口だけ口にして立ち上がると、スコーンを取りにキッチンへ向かった。
私はスコーンにできる狼の口が大好きだ。
きっと、英国暮らしをしていた頃に
“これが美味しさの印”だと耳にタコができるほど聞かされたものだから、
無意識にそう感じてしまうようになっているのだと思ってはいるのだけれど、
今でも「やっぱり、これがなくちゃ」と感じてしまうのだから、
習慣というものは、ある意味すごい。
狼の口というのは英国でWolf’s mouthと呼ばれているもので、
膨らんだスコーンの側面にできる割れ目のことだ。
あの割れ目があると素朴さが漂ってしまうからなのか、今は割れ目が無く、
形を均一に整えられたスタイリッシュな風貌のスコーンも多く見かけるようになった。
しかし、“狼の口”は溶かしバターではなく冷えた塊のバターを生地に練り込んで焼き上げた際にできる、
いわば、正当な作り方によって焼き上げられた印でもあるため、
現地では「やっぱり、これがなくちゃ」と思われていたりもする。
もちろん、狼の口がないスコーンが出されたからと言って
わざわざ物言いをつけるほどのことではなく、
これがあると、より伝統的なスコーンという感じがするわよね、というようなことだ。
しかし、「あら、このスコーンには狼の口がないじゃない」と、皮肉めいたことを言う方にも時々、遭遇した。
日本人である私からすれば、わざわざ言わなくてもいいのでは?と思うようなことだったけれど、
そのような場には、何とも表現し難い空気が広がったりもしていた。
きっと、各々感じたことや、思っていることがあったのだろう。
十人十色、どこの国にもあるようだ。
そのようなことを思い出しながら狼の口に親指をあて、ぱかっとスコーンを割った、穏やかなある日の午後。
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