私は子どもの頃の比ではないのだけれど、時々、皮膚科のお世話になることがある。
何かしらの違和感が続くとき、私の場合は、
あれこれスキンケアやコスメを変えながら1週間、10日、1か月と様子を伺うよりは、
専門家の知恵を借りた方が最終的に肌ダメージを最小限に抑えられるからだ。
肌トラブルを気にせずに過ごしてきた友人たちに言わせると、
大げさに映ったり、面倒そう、大変そうに映ることもあるという。
だけれども、そのようなことを繰り返してきた甲斐あって、という表現が適切かどうかは分からないのだけれど、
少しずつ対処法が知識や知識と混ざり合いながら私の中に蓄積され、
今では、ちょっとしたトラブルや変化であれば様々な角度から対処し、改善させられるようになっている。
そして、アトピー体質だと言っても「それって気のせいじゃない?」と言われることがほとんどで、
皮膚科医のお世話になる機会も随分と少なくなっているように思う。
もちろん、体質が完全に変わったわけではないから、症状がでることもあるけれど、
共存できているように思う。
まだ知識が少なく、皮膚科に駆け込む頻度が高かった頃、
ある皮膚科医がこのような話をしてくださったことがある。
ギリシャ語で「変化」を意味する言葉を語源にもつアメーバを研究をしていたチームがあったのだそう。
彼らはアメーバの生命力を研究するために、
アメーバにとって最高の状態である環境と、良いも悪いも起こる、変化する環境の2つを用意し、
それぞれの環境にアメーバ入れて観察を続けた。
結果は、良いも悪いも起こり、変化する環境に入れられたアメーバの方が長く生きたと言う。
人は、何か自分にとって不都合なことが起きたり、
環境が整っていない状況には不満を感じることがあるけれど、
そのような時こそ、細胞が底力を発揮すべく頑張っているのだから、
何もかもが最高である状態よりも何かしらの良い、悪いが混ざっていた方が
どれくらい先になるのかは分からないけれど、
最終的に「悪くない、悪くなかった」と思える何かを手にできていたりするものだと。
だから、肌が弱いからと言って嫌だなと思わなくてもいいと思うよと。
今でこそ、その意味を様々なことに置き換えて考えられるし、
実際に手にした知識を思えば、仰る通りでしたと答えられるのだけれども、
当時の私は、頭では分かっていても目の前の状況を早く何とかしたい気持ちの方が強く、
それはそうだけれども……お薬は出るよね?などと思っていたような気がしている。
ピンチだったり、ハンデだったり、自分にとって不都合だと感じられる局面というのは、
自分の奥に眠っている、未だ使われていない才能を、
使ったり、知ったり、見つけたりする機会ということなのかもしれない。
花粉でむず痒くなってきた目に目薬を点しながら、
それにしてもアメーバという言葉、久しぶりに思い出したなと思う、ある日の休日。