カレンダーの隅に「蚯蚓出ずる」と小さい文字が印字してあった。
ん?何が出てくる頃なのだろうか?と思った。
パッと読むことができなかったもどかしさから、早く逃れたかったのだと思う。
様々な視点から思い出すこと、推測することを簡単に諦めた私は、書棚の奥に眠っていた一冊を引っ張り出して捲った。
私たちの脳は、脳を使って新しいことを学ぶと神経細胞が増える。
神経細胞が増えると神経細胞同士を繋ぐシナプスと呼ばれるものが増える。
これらが増えるということは、神経回路が増えることでもあり、
情報伝達はよりスムースになり、脳の働きも良くなり、記憶力も高まると言われている。
しかし、脳を使わなければ、使われない回路のシナプスは消えて無くなるのだ。
このシステム、無駄を省いてくれる断捨離上手のようにも見えるけれど、
この忘れるという現象は、その部分の神経細胞とシナプスがなくなったということでもある。
この日の私のように、思い出すことや推測することを簡単に諦めた瞬間は、
シナプスがひとつ消えた瞬間でもある。
私の消えたシナプス問題はさておき、日本には季節を細かく表現することができる言葉がある。
春夏秋冬を24の季節に区切り、季節を更に細かく表現する言葉を二十四節気(にじゅうしせっき)と言い、夏至などはこれにあたる。
この24に区切った季節を更に細かく区切り、動植物の様子を交えながら季節を表現したものを、七十二候(しちじゅうにこう)という。
冒頭のそれは、この七十二候(しちじゅうにこう)のひとつで、
そろそろ蚯蚓(ミミズ)が土の中から出てくる頃だと知らせてくれていた。
天気予報など無かった頃の先人たちは、このような言葉と自分の肌で感じる感覚から
当時の“今”を眺め、必要なことを判断していたのだろう。
今の時代、天気予報も無しに雨や地震を察知すれば、予言だの、超能力だの言われてしまうこともあるけれど、
このような言葉は、私たちが手放してきたものの欠片でもあるのかもしれない。
そのようなことを頭の片隅にチラつかせながら、
ミミズ……、漢字で書いてみてと言われてもサラサラと書ける自信は全くないと思った。
これを機に覚えてみるかと、無地のメモ帳に落書きのノリで書いてみたけれど、
やはり、覚えていられる自信がない。
切れたシナプスを再構築すべく、ミミズと言う漢字を眺めていると遠い記憶が薄っすらと輪郭を表した。
学生の頃、少しひいてしまうほど漢字愛を解き放っていた恩師がいた。
恩師は、このミミズという漢字を「へん」と「つくり」に分け、このような覚え方を伝授していた。
『蚯蚓(ミミズ)という虫は、虫業界のおか(丘)っぴき(引)』だと。
この覚え方が、教室内でウケていた記憶は全くなかったけれど、
今になって、これを覚えていればサラサラと書けそうだ、いや、書けると思った。
暦の上では、そろそろ「蚯蚓出ずる」でございます。
少しずつ移り行く季節を感じつつ、
『蚯蚓(ミミズ)という虫は、虫業界のおか(丘)っぴき(引)』、
あなたの神経細胞とシナプスメンテナンスも同時にいかがでしょうか。
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