デジタル錠剤というものがあるという。
昨年末、アメリカで初めて、センサーを内蔵しているデジタル錠剤の製造が承認されたのだそう。
この錠剤の開発には日本の製薬会社も携わっているのだそう。
そもそも、デジタル錠剤とは?と思い少し調べてみることにした。
簡単に言うと、お薬の中に含ませられるくらいの極小センサーが入っているお薬だ。
この極小センサーは、胃液に触れると体内から信号を発信するそうで、
この信号を、体に貼り付けるタイプの信号受信機のようなもので受け取り、
お薬を飲み忘れていないかどうか、いつ、どのようなお薬を飲んだのか等のチェックできるという。
お薬と一緒に体内に取り込んだ極小センサーは、
消化されたり、吸収されたり、体内を傷つけたりすることはなく、自然と体の外へ排泄されるため、
安心して使うことができる、と言われているようだ。
身体の状況や病による症状は十人十色。
お薬を服用したかどうか、正確な状況を確認する必要がある方や、
その管理を自分で行うことが困難な方、治療に携わる方々にとっては、非常に便利なものであるように思う。
ただ、このお薬を使うということは、行動までも監視されているように感じられる方も出てくる懸念も避けられないため、
とてもデリケートなもので、その取扱いに関しても注意が払われるのだと思う。
もちろん、適切な医療を行うためのものであり、適切に使われるものなのだろうけれど、
ふと、豊かさや便利さの方向性は、何処へ向かうのだろうかと思ったりもする。
今回、私がたまたま耳にした話題がデジタル錠剤だっただけなのだけれども、
人が求める豊かさや便利さの数だけ、豊かさや便利さの形が生み出され続けるのだろうかと、ぼんやりと思った。
確かに、「今日のサプリメントはもう飲んだかしら?」「冷蔵庫に〇〇の買い置きはあったかしら?」というようなことを思ったとき、
直ぐに確認できるお手軽な何かがあれば便利だとは思うし、
本当に、その技術を必要としている人のもとに技術が届くのあれば良いのだけれど、
同時に、人が本来持っていたはずのものと引き換えにしても大丈夫かしら、とも思ってしまう。
どのような関係も、完全に依存してしまうよりも、
寄り添い合う形をとる方が、可能性が増すように思うのだけれども。
発展するものと衰退するものはコインの裏表のようだ。
そのようなことを思いつつ、自分で把握しておくべき色々をPCやスマートフォン、その他様々な機能に任せている状態を眺め、「私も随分と依存しているなー」と思う午後である。
関連リンク:
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/