時間を持て余し、パラパラと情報誌を捲っていると鮎の塩焼きの画像が目に入った。
梅雨明けはいつ頃かしらと思っていると、こうして初夏の訪れを告げる鮎が目に入る。
日本には、四季があるだけではなく、
その四季が移り行く過程までも、丁寧に感じられるきっかけが至る所に在るのだ。
楽しみも多種多様化している今日だけれども、
古くから在るそれに手を伸ばす人はどれ程いるのだろうか、とふと思ったりもする。
日本各地の清流に生息している鮎は、初夏の風物詩のひとつ。
若鮎は、春先から初夏にかけて川の流れに逆らいながら上り始める。
中流辺りまでくると、しばらくはその場に居座り石の底についた藻を食べて成長する。
この「藻」のことを石垢(いしあか)と呼ぶそうなのだけれども、
あの珪藻土商品でお馴染みの珪藻も彼らの食料なのだそう。
清流で育った数種類の藻を食べて育つため、
鮎の内臓や身には藻のフレッシュな香りがほのかに移っており、
これが川魚特有の臭みを消し、鮎の味を良くしている理由だと言われている。
先日、お魚の消化器官に関するお話に触れたのだけれども、
藻を食料とし、消化器官に大きな負担をかけていない状態で私たちの口に入るのだから、
鮎の内臓も臭みがないのだろうと推測できる。
こうして、成長した鮎は夏から初秋に頃になると群れで産卵場所を探して川を下るという。
この間、約1年。
誰にも命を奪われずに生き残った鮎は、産卵後に一生を終えるのだ。
稀に、1年以上の月日を生きるものもいると言うけれど、大方、鮎の寿命は1年だ。
確か、中国の古い書物に記されていると、どこかで読んだ記憶があるのだけれど、
鮎のことを「鮎は春生じ、夏長じ、秋衰え、冬死す。故に年魚と名づく」と表現していたように思う。
四季の移り変わりと人の一生を重ね合わせることもあった先人たちは、
このような儚さに美学を感じ、惹かれ、鮎は大切に味わうべき特別な魚として扱っていたのかもしれない。
「あゆ」と言えば、その香りの良さから香魚と記されたり、寿命を全うする、その様子から年魚、
その他にも数多くの記し方があるのだけれど、知名度が高いのはやはり「鮎」ではないだろうか。
これは、この魚が占いとも関係があった名残である。
ある時には、戦の勝ち負けを占って釣りをしたところ鮎が釣れ、そこから占いの結果を導き出し、
またある時には、川を上る鮎の量によって、米の豊作や凶作を占ったこともあったそうで、
「魚」に「占」と書いて「鮎(あゆ)」と記すようになったという説が残されている。
鮎が、食し方だけでなく、その背景にある話にも事欠かないのは、
それだけ多くの人の心を鷲掴みにしてきたということでもあるのだろう。
今年初めていただく鮎は、もちろん塩焼きでと思うこの頃だ。
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