胸の奥をぎゅっと掴まれるような強くて艶やかな香りがした。
確かに知っている花の香りなのだけれど、すぐに名前が出てこない。
頭の中では、その香りをめぐって一人連想ゲームのようなことが始まっていた。
金木犀ではなくて……沈丁花でもなくて……、ほら、この時季の花。
などと思っていると、花の方がしびれを切らしたのか、再び顔を、その香りに撫で上げられたような気がした。
香りの正体は、少しばかり早咲きのようにも思える日本の三大香木と言われているクチナシの花だった。
春の沈丁花、夏のクチナシ、秋に香る金木犀が、日本の三大香木だ。
日本では、いや、私にとってはと言うべきだろうか。
過ぎ去りし夏の想い出へと誘われる香りのひとつでもある。
クチナシの花は、この時季に吹く爽やかな風にのって香りが運ばれてくるため、
欧米では、「(クチナシの香りと共に)喜びを運んでくる」、「とても幸せです」といった花言葉が広く知られており、クチナシの花を使ったウエディングブーケやブートニアも人気だ。
と同時に、ジャスミンにも似たクチナシの華やかな香りは、幸せの象徴でもあるようだ。
英国で暮らしていた時にお世話になっていた老夫婦の家には、立派なクチナシの木があった。
テラスにも鉢植えのクチナシがあったため、今思えばご夫婦にとって特別な思い出がある花木だったのかもしれない。
当時の私にとってクチナシの香りは、日本の風景を思い出す懐かしい香りだったため、
お邪魔する度に胸いっぱいに香りを吸い込んでいた記憶がある。
そのクチナシの花が咲き始めた頃だったと思う。
ご婦人が、クチナシを育てるのは大変なのよと漏らしたことがあった。
なんでも、柔らかくて瑞々しい若葉が出てくると、その葉を好物とする蛾の幼虫が、どこからともなく集まり、若葉を完食すると言う。
そして、彼女は、このような話を続けた。
集まってくる幼虫を殺虫剤で退治した年もあったそうなのだけれども、
幼虫たちも生きていくために一生懸命だと思ったら、殺虫剤を使うことを躊躇ってしまう。
しかし、殺虫剤を使わなければ、クチナシの葉はあっという間にカクテルスティック(爪楊枝)のような姿になり美しさが半減する。
彼らは生きるために、私は美しいクチナシを見るために、そう思うと、罪悪感に似た気持ちが湧くことがあるのだと話していた。
そうか、そうか……という気持ちで相槌を打ちながら話を聴いていた私に、彼女が問いかけた。
弱肉強食だと割り切るか、共存するべきか、その他に何か良いアイデアはある?と。
このときの何気ないやり取りを、毎年、クチナシが香り始めるにこの時季に思い出すのだけれど、
あの時の私が何と答えたのかは思い出せない。
今年もまたクチナシの香りに癒されながら、あの時の景色と香りを思い出した。
そして、生きるためではない殺生を繰り返すのは人間だけか、と。
過ぎ去りし夏の想い出へと誘われるクチナシの香り、次はいつの日の想い出に辿り着くのか、密かな楽しみである。
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