暑い日が増えてきたからだろう、友人とダイエットの話をした。
ただ単に体重を落とすだけでは、美しさや健やかさまでもがそぎ落とされていく大人のダイエット。
大人の階段を上れば上るほど、難易度が上がる悩ましいもののひとつである。
そして、この“ダイエット”というものはきっと、男女を問わない永遠のテーマであるのかもしれない。
そう思わされる、ひとりの男性のエピソードがある。
今回は、そのような話を少し、と思っております。
お時間ありましたら、お好きな空間で、のんびりとお付き合い下さいませ。
雅な、平安の世を生きた藤原朝成という方のエピソード。
彼は、高貴であるだけでなく、知識が豊富で非常に賢く、経営力や度胸も兼ね備えている方だったと言う。
更に、笙(しょう)の腕も確かで、とても豊かな暮らしぶりだったのだとか。
笙(しょう)というのは、雅楽用の管楽器で、ひと言で言うならば「笛」。
その見た目は、長さが異なる細い竹を底辺を揃えて束ねたもので、
底辺部分に口を当て、吹いたり、吸ったりしながら音を出す管楽器だ。
この彼、とても大柄な背格好だったそうなのだけれども、今で言うところのマッチョとは言い難い肥満体型だったという。
どれくらいの肥満体型だったのかと言うと、座っているだけでも苦しく感じてしまうほどの体型だったとか。
流石に、自分の体型や体調を気にしたのだろうか。
彼は、ある夏の暑い日に医者を呼び、
「こんなに太ってしまったけれど、どうすればよいのだろうか。立ったり座ったりと言った、日常の動作をするだけでも体が重くて、苦しくてたまらない」と相談した。
すると、その医者は「冬は湯漬け、夏は水漬けで、ご飯を召し上がるのがよろしいのでは」とアドバイス。
すると彼が、「それじゃあ、水漬けの食事をお見せします」と言うので、
医者は、彼の食事スタイルを見てから帰ることにしたのだ。
彼は、お付きの方々に「いつものように、水漬けの飯をもってこい」と命じ、
“いつもの食事”が着々と準備されたのだけれども、その“いつもの食事”というのが、
10センチほどの長さの干し瓜を10本と、尾頭付きの鮨鮎30尾。
これをおかずとして、ご飯を食べるのだけれども、
白米は、大人の男性が抱えて運ばなくてはいけないくらいの器に入れて運ばれ、
彼が差し出すご飯茶碗に、お付きの方が、その都度盛っていくスタイルなのだ。
この時点で、ダイエットの「ダ」の文字さえも霞んでしまうけれど、彼は水漬けを食べるところを見せると言っていた。
もちろん、水漬けとはお茶漬けのお茶を水にしたものだ。
しかし、彼が言う水漬けは、ご飯茶碗に白米をうず高く盛り、
茶碗の縁に、ちょろっと水を入れただけの、“気分だけ水漬け”と言っても過言ではないようなものだった。
この、ご飯山盛りの水漬けもどきをぺろりと平らげた彼は、「もう一杯」と茶碗を差し出したという。
この食事風景を見せられた医者は、
「水漬けを主食として召し上がるとしても、このような召し上がり方をされるのであれば、これからも太ることを止めることはできないでしょう」
と言ってその場をあとにし、後に人々に「彼は、その後も太り続けて相撲取りのようであった」語り伝えたという。
この、平安時代のある男性のダイエット模様は『今昔物語集』に収められている。
いつの時代もダイエットは“難しいもの”のようだと感じるのと同時に、
“人の振り見て我が振り直せ”に通じるものがあるようにも思うエピソードである。
そして、ワタクシ、あとでティラミスでも作ろうかしらと思っていたのだけれど、
久しぶりに朝成さんのエピソードを思い出し、今夜のデザートはヘルシーにするぞと誓ったのだった。
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