友人から送られてきた画像には、濃いめのピンク色をした早咲きの桜と青空に映える黄色がエネルギッシュな菜の花が収められていた。
しかも、それらが連なって咲いている様子は、春がグイグイと迫ってくるようなインパクトが画像越しからでも感じられ、うわーっと声が出た。
はじめは、美しくも逞しい桜の花と菜の花に視線を奪われていたのだけれど、ふと、空の色もすっかり春のそれに変わっていることに気がつき、
本当に冬が終わったのだな、と暖房をぬくぬくに効かせた部屋で思った。
この時季に耳にする「一月往ぬる、二月逃げる、三月去る(いちげつ いぬる、にげつ にげる、さんげつ さる)」という言葉がある。
文字から推測できるとおり、「一月は行く、二月は逃げる、そして三月は去っていく」という見たままの意味で、
新年を迎えてからの1月から3月は、あっという間に過ぎ去ってしまう気持ちを表す言葉だ。
普段よりも日数が短い2月が、この感覚に拍車をかけているようにも思うけれど、それを考慮しても実感が変わることは無いように思う。
この言葉を初めて耳にしたときも、「確かにね」と感じた記憶が薄っすらと残っているのだけれど、
今、改めて思い返してみると、当時の感覚は今のそれとは比較対象にもならないくらい緩いものだったようにも思う。
月日が過ぎ去る感覚を表す言葉で真っ先に浮かぶものと言えば、「光陰矢の如し(こういんやのごとし)」もそうである。
「光」は日を、「陰」は月のことを表しているそうで、これが合わさった「光陰」は歳月(年月)や時間を表しており、歳月(年月)が過ぎ去る様を、矢が飛んでいくときの様子に重ねて生まれたと言われている。
これは中国から伝わってきた言葉だけれど他にも、足が速い白馬がビュンッと駆け抜ける様子を壁と壁の隙間から見る、
その一瞬の出来事を時間の流れに重ねた「白駒の隙を、過ぐるが如し(はっくのげきを、すぐるがごとし)」というものも伝わってきている。
白駒は足が速い白馬を意味しており、隙と書いて「げき」と読むこれは物と物の間や隙間を、ここでは壁と壁との間の僅かな隙間や、建物と建物との僅かな隙間を意味している。
後者のことわざは、前者の「光陰矢の如し(こういんやのごとし)」ほど日常の中で使う機会は多くないけれど、
情景を想像してみると、このことわざが伝えようとしている感覚はすんなりと腑に落ちるように思う。
様々な国の言葉で似たような意味や気持ちを表す言葉が残っているところを見ると、
住んでいる場所や環境、時代がどう変わろうとも人が感じる感覚のひとつということなのだろう。
とは言うものの、心身共に新しい季節に馴染んだ頃には、時間が流れる感覚にも落ち着きが感じられもするのだろうから、慌ただしい時ほど焦らずに、慌ただしいと感じるときほど深呼吸を。
そして、まずは目の前のことから一つずつ、できることから一つずつ。
そのような気持ちで過ごしたいと思うこの頃である。
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/