出かけた先で予想していなかった量の荷物が増え、両手が塞がってしまった。
何とか一つにまとめられないだろうかと、頭の中でテトリスのような思考を巡らせながらベンチを探した。
運よく、人通りが少ない場所に設置されたベンチを発見し、そのベンチで手荷物をコンパクトにまとめることにした。
私が荷物を置いたベンチの端にはご年配の女性が腰掛けており、更にその横に並ぶベンチにも女性が一人座っていた。
荷物をまとめ終えたかけたとき、一番奥に座っていた女性のもとに小学生の女の子が泣きながら走ってきた。
何ごとだろうかと思いつつ手を動かしていると、女の子は学校で自分だけが出来ないことがあったらしく、悔し涙を流しているようだった。
今思えば、ひと通り話を聴いた母親が何と声をかけるのか気になったのかもしれない。
私は、その母親の声を聞くまでベンチで手荷物をまとめていた。
そして聞こえていた母親の声。
それは、豪快な笑い声だった。
何だか拍子抜けしてしまった私は、ついその親子へ視線を向けてしまった。
すると、ベンチ端に座っていたご年配の女性も、私と同じようにその親子の方へ顔を向けていた。
ランドセルを背負った女の子にとっても、豪快に笑った母親のリアクションが想定外だったのかピタリと泣き止んでいた。
そして母親は、「お母さんの子だから、そういうのはちょっと苦手なのね。でも、大丈夫よ。お母さんもできるようになったんだから、あなたも次は出来るはず」と言った。
そして今度は、泣いている子の顔をマジマジと見て「あぁあ、変な顔になっちゃって」と言いながらまた豪快に笑ったのだ。
相手との親密度や関係性、物事の重要性などを考慮した上での対応ではあるのだけれど、
親子関係に限らず、人の笑顔や笑い声には人を前向きにする力があるのだと感じたワンシーンであった。
もし仮に、あの場面で母親から「あなただけできなかったなんて大変だわ」だとか、「どうして、できなかったのかしら」などと言われていたら、
言われた方は何か重大なことをやらかしてしまったのだろうか、できない自分は何か問題があるのだろうかと、必要以上に不安を抱いてしまうように思う。
だけれども、関わっている相手が笑い飛ばしてくれたなら、今回はダメだったけれど次は頑張ろうと思えたり、前向きな気持ちをベースにして失敗した出来事を振り返ることができ、
失敗や出来なかったことが、失敗や出来なかったこととして終わらないのだ。
私も、そのような友人、知人のリアクションに多々助けてもらったことがある。
もちろん、それは今でも変わらないのだけれど、自分以外の誰かの笑顔や笑い声のチカラは、本当に大きくて、ありがたいものである。
遠い日の出来事を思い出し、あの時のあの人に改めてお礼を伝えたい。
そのようなことを思った日。
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/