あれから幾度も行っている引っ越し時の断捨離、このノートは、その度にどこに身を潜めていたのだろう。
そう思いながらパラパラと捲ったノートは、フランス語で綴られた古い日記帳、いや、日記帳というよりは恩師との交換日記のようなものである。
恩師とは、こちらでも幾度か登場した、豪快さがキュートなフランス人女性なのだけれど、そのノートの最後のページには、彼女が教えてくれたアメリケーヌソースのレシピが書いてあった。
彼女には公私ともにお世話になり、フランス語以外にも多くのことを教えてもらったのだけれど、フランスの家庭料理もそのひとつだ。
久しぶりに彼女のレシピでアメリケーヌソースを作ってみようかしらと、レシピを覗き込んでみたけれど、お世辞にも上手な字だとは言い難い彼女の文字が、紙の上で自由奔放に踊っており、解読不能であった。
しかし、それを不満に思う気持ちは一切湧かず、手より先に口が動いてしまう彼女らしさがとても懐かしかった。
書き残してくれていたレシピは解読不能だったけれど、彼女宅で一緒に作った簡易版アメリケーヌソースを思い出しながら作ることにした。
彼女は、本来は3日かけて丁寧に作るソースなのだけれど、そんなにも時間をかけていたら腹ペコでおかしくなってしまうでしょなどと言って、手際よく調理してくれたように思う。
キッチンに充満するのはアメリケーヌソースの魅惑的な香りだ。
熱を加えたバターの甘美な香りに、エビやニンニクの香ばしさと野菜の香りが合わさっただけでもノックアウト寸前だというのに、
ここにトマトの酸味と、こっくりとした生クリームの香りまでもが混ざり合っていくのだから、私のお腹は鳴りっぱなしである。
そして、言われるのだ。柊希はいつもお腹を空かせている、と。
レディに向かって何てことをと、これに対しては毎回物申していたのだけれど、小さいことは気にしない彼女に聞き入れてもらった記憶は無い。
そのようなやり取りを交わしながらの調理も一段落した頃だったと思う。
煮込んでいる間、チョコレートだったかクッキーだったか覚えていないけれど甘いもので小腹を満たしながら、アメリケーヌソースはアメリカ風ソースという名ではあるけれど、正真正銘フランス生まれのソースだという話が始まった。
この手の話をするときの彼女の表情は、教師の顔に切り替わる。
初めの頃は、この表情の変化に緊張することもあったけれど、次第に彼女の魅力のひとつだと感じるようになった。
話をアメリケーヌソースに戻すついでに、時もナポレオン時代にまで巻き戻る。
当時のパリには美食家たちが集う人気のレストランがあったのだそう。
そのレストランに、アメリカからの観光客御一行様がやってきたのだけれど、生憎、オマール海老以外の食材の品揃えが乏しかったため、シェフは、オマール海老とお店のあり合わせ食材で一品、完成させたのだそう。
シェフはアメリカのレストランで働いていたことがあったようで、その時に学んだこととフランス料理に反映させたこの一品、
これが、シェフが想像する以上にお客様にうけ、オマール海老のアメリカ風という名で、レストランの定番メニューになったのだとか。
ここから、この料理に使われていたソースが、様々な食材や料理に使われるようになる過程でアメリケーヌソースと呼ばれるようになったそうだ。
恩師である彼女には、他にもいくつかの説を教えてもらったはずなのだけれど、今の私の記憶に残っているのは、これだけである。
あり合わせの食材で作ったメニューが人々にうけて定番メニューになったという話は意外に多い。
人は窮地に立たされると、普段眠っている力がパッと花開くのだろうか、とも思う。
正に“ピンチはチャンス”である。
さて、できあがったアメリケーヌソースを今宵は何と合わせよう。
遠い場所へ行ってしまった彼女のことを思い出しながら、出来立てのソースを口に運んだ日。
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