幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

御朱印ブームの裏側で。

 

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御朱印帳がブームになってから時折見聞きにする、御朱印帳の現状。

先日も久しぶりにそのような記事を目にし、リアルな今を感じる機会となった。

御朱印とは、「多くの方が神社仏閣に親しんでいただけるように」という願いを込めて、神社仏閣それぞれが趣向を凝らしているもので、その神社仏閣ならではの印鑑や手書きの参拝の印のこと。

私たちは、この御朱印を神様との間にできたご縁、繋がりの印として神社やお寺の方に、御朱印帳と呼ばれる御朱印専用のハードカバーの本のようなノートに記してもらうのだ。

無料で記していただけるところもあるけれど、その多くは御朱印料を納めて記していただくスタイルである。

また、この御朱印帳も神社やお寺によってデザインが異なるため、初めての御朱印帳をどこでいただくか(要購入)ということも、ひとつのご縁であり、楽しみでもあるのではないかと思う。

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ただ、この御朱印の扱いが度々問題になっている。

御朱印の意味や本来の目的は、先ほど触れたとおりなのだけれど、神社仏閣を参拝することが目的ではなく、御朱印を集めることが本来の目的になってしまっている方が増えているという。

もちろん、どのような目的で神社仏閣へ行こうが、御朱印をいただこうが、この辺りは個々の自由だと思うのだけれど、御朱印をいただくために長時間並ばされることに対して、

手際が悪い、サービスが悪いといった内容のクレームが出たり、手書きの御朱印であれば、手書きしてくださる方によって文字の雰囲気が変わることは当たり前のことなのだけれど、

もっとキレイな文字で書いて欲しかった、文字が好みではない、ネット上で見たものと同じ御朱印が欲しかった、などといったことを、神職へクレームとして伝える方も増えているという。

中には、代金を支払っているのだから、もっと色々と考えて欲しいということを言う方もいらっしゃるのだとか。

御朱印が、本来の意味や目的から外れ、このような事態を招いたことに心を痛めている神社仏閣も多く、中には御朱印を取りやめてしまったり、扱わずにいる神社仏閣も増えているという。

問題視されているのはこれだけではない。

神社仏閣でいただいた御朱印をネット上のフリーマーケット内で転売しているケースも多々見受けられ、

中には特別な日限定でいただくことができる普段とは異なる御朱印を破格で転売しているケースや、お値引中といった扱いもある。

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私も数年前に、御朱印帳を作った。

数年に一度、日本各地に散らばっている仲間たちと、半年ほどの時間をかけて日程を合わせて旅行しており、その記念に皆で作ったものである。

その御朱印帳を握りしめ、仲間たちと御朱印をいただく列に並んでいたときのことである。

私の前に並んでいたグループの会話で、「右から〇番目の窓口の人の御朱印が当たりらしいよ」「この値段でヘタな字に当たったら最悪」という話が聞こえてきた。

既に御朱印をいただき終えたグループは、互いの御朱印を見せ合いながら、「これは字が歪んでいて嫌だ」「カッコいい文字で書いてもらえて羨ましい」といった声が上がっていた。

個々が感じることもあるのだろうし、自分が手にしたものをどう扱おうが本人の自由であり、個々の判断に委ねれば良いと思うのだけれど、

すぐそばでその声を聞きながら御朱印を記してくださっている神社仏閣の方々の気持ちを思ったり、このようなニュースを見聞きする度に、胸の奥がざわつくのである。

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久しぶりに御朱印帳の話題を目にし、普段は引き出しにしまい込んでいる御朱印帳を取り出した。

仲間と旅をする際に、空白の数年の間にいただいた御朱印を見せ合おうという目的もあって作った御朱印なのだけれど、普段携帯していないこともあり、私の御朱印帳の中には、仲間と訪れた場所以外の御朱印は無い。

パラパラと捲っても直ぐに真っ新なページが出てくる私の御朱印帳は、見応えは無いのかもしれないけれど、心の中の御朱印帳にはたくさんのご縁が。

御朱印について様々な思いを巡らせつつ、御朱印帳を大切に引き出しにしまった日。

画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/