実際のところは分からないけれど雨があがった後の空気は、空気の汚れが雨で洗い流されたかのようで清々しい。
車が車道をビュンビュンと走り抜けていく様子は、普段と何ら変わりないというのに、歩道を歩きながら深呼吸をしてしまうほどだから、
やはり、気の持ち方ひとつで見える景色や感じられる景色は随分と変わるのだろう。
まだ蒸発していない雨粒を乗せた木々の葉をチラ見しながら目的地へ向かう途中、“米粒たわわ”を発見し6月もそろそろ終わりか……と思った。
“米粒たわわ”とは私が心の中で勝手に呼んでいるこの時季の南天のことだ。
南天と聞いて思い浮かべるのは「南天のど飴」だろうか。
それとも、秋から冬に人目を惹く鮮やかな赤色をした実だろうか。
他にも「難を転じて福となす」に通ずとされ縁起物として古くから愛され、災厄・魔除け、招福の木として知られているため、そのようなことを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれない。
ただ、やはりそこには赤い実のイメージがくっつきやすいため、秋冬のイメージが強いように思う。
しかし南天は、5月から6月ごろに可愛らしい白い花を咲かせる植物である。
あまりにも密やかに咲くため印象に残りにくいのだけれど、よく見てみると小さくて米粒のような白い蕾をつけ、これがパッと開き、中から小さくて繊細な黄色い雄しべを見せてくれるのだ。
この時季を過ぎると黄緑色をした実ができ、季節の変化と共にゆっくりと時間をかけて赤く染まり、私たちが知る、あの南天となる。
もしも南天を夏休みの自由研究の題材として扱ってもらえたならば、書き綴る内容に困らない植物のように思うのだけれど、
変化の時季が非常に中途半端だということや、色鮮やかな花が次々に開花する時季に米粒サイズの蕾と花という控えめさから、人々から注目されるタイミングを逃している植物であるように思う。
日本人の暮らしを長い間、見守り続けている木ということもあり、いつの間にか空気のような存在と化してしまった南天だけれど、この時季の米粒たわわ化した姿も必見だ。
道すがら、白い米粒が揺れているようなものが視界に飛び込んできた際には「もしかして、柊希が言っていた“米粒たわわ”か!?」と初夏の南天にスポットライトを当てていただけましたら幸いです。
いつもの景色にあなた色を自由に添えてカラフルな毎日を。
本日も、素敵な1日になりますように☆彡
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