美味しそうなサクランボが多種類並んでいた。
国産のものはもちろん美味しいけれど、外国産のものは国産とはまた異なる美味しさがあり、サクランボとひと口にいっても、その美味しさは様々である。
外国産のそれと言えば、赤黒くぷりっとしたフォルムのアメリカンチェリーの認知度が高いけれど、この呼び名は、アメリカ産のサクランボという意味ではないのだとか。
もう随分と長い間、アメリカ生まれのサクランボだと思い込んでいたため、そう聞いたとき、どうリアクションをしたら良いのか分からなくなってしまった。
このアメリカンチェリーの名は、輸入されたサクランボを総称して呼ばれているだけで、実際はアメリカ以外の国から輸入されたサクランボも多く、それらの品種は私たちが思う以上に豊富なのだそうだ。
サクランボと言えば、フランス中部、いや中南部だっただろうか。
町の名前と位置の記憶が薄れつつあるのだけれど、この辺りの地域は、世界三大珍味のキャビアとフォアグラの産地としても知られているだけでなく、クラフティという名のお菓子の発祥の地でもあるという。
そして、フランス伝統菓子のひとつだと言われている、このクラフティに使用するのが、旬を迎えたサクランボである。
クラフティとは、卵や生クリームなどを混ぜ合わせたものをタルト生地に流し込み、旬のサクランボをたっぷりと入れて焼き上げるお菓子のことで、ザクッとした食感のタルト生地の中は、少しかためのプリンといったイメージだ。
サクランボ以外にも、洋ナシやリンゴなどが使われているものもあるけれど、やはり定番となるのはサクランボのクラフティなのだとか。
日本の洋菓子店で目にすることもあるのだけれど、使われているフルーツの種類が多いこともあり、クラフティというお菓子だと知る機会が無い方も多いように思う。
私は随分と前に、このクラフティ作りを経験させていただいたことがある。
教えて下さった方の意図は、フランス伝統のお菓子を知って欲しいというもので、使うフルーツは旬を迎えたばかりの大量のサクランボだった。
この時に、絶対に守らなくてはけない約束として「サクランボの種は取らずに入れること」というものが挙げられた。
「必ずよ、必ず」と念押しされたものだから、レシピを書き記していたノートには「サクランボの種は取らずに入れる!重要ミッション!」と走り書きをした。
そうして調理は順調に進みサクランボのクラフティが完成した。
食事を堪能したあとに出てきたそれには、温かさがわずかに残っており、知人は冷えたロゼワインと一緒に振舞ってくれたと記憶している。
この組み合わせの虜になった私は、しばらく経ってからロゼワインと旬のサクランボを買い、自宅で教えていただいたばかりのクラフティに挑戦した。
そこで、あのミッションである。
しかし、美味しいクラフティをいただきながら「種がなければ食べやすいのに」と感じていた私は重要ミッションを無視して、全てのサクランボから種を取り除いて焼いてみたのだ。
すると、サクランボの中にあった果汁が溢れ出してしまい、間の抜けたようなクラフティが出来上がった。
種は取るべきではなかったのだ。
後日知人に、「サクランボのクラフティを、種を取り除いたサクランボで作るのはありかしら?」と尋ねると、「言ったわよね、サクランボの種は取らずに入れることが約束よ」と返ってきた。
既に種を取り除いたサクランボで作って失敗したとは口が裂けても言えないぞと思い、口をキュッ、ギュッと結んだ。
その後、幾度かトライしたサクランボのクラフティは、種を取り除かないという約束を守り、大成功を収めたけれど、
いつの間にかレシピノートが無くなり、店頭に並んでいるものを紅茶でいただくのみとなり、あの日の記憶を思い出すことも無くなっていた。
久しぶりに、温かさが僅かに残ったクラフティと冷えたロゼワインの味を思い出したこともあり、
旬にギリギリ間に合うアメリカンチェリーを使ってサクランボのクラフティでもと、記憶に近いレシピをネット上で探し始めたこの頃である。
アメリカンチェリーに限らず、国産のサクランボの旬も残りわずかです。
お嫌いでなければ、旬の味覚を味わい納めてみてはいかがでしょうか。
そのときに、頭の片隅でクラフティという名のお菓子があることも、ちらりと思い出していただけましたら幸いです。
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