その日は、傘をさすか否か迷うような小雨が、パラついたり止んだりを繰り返す中、古き良き日本の景色を想像させられるような街を散策していた。
橋の上から川をのぞくと川の水は雨で濁っていたけれど、川沿いに植えられている樹木の葉っぱは雨のシャワーを浴びた後の瑞々しさを放っていた。
1000年前の時代を生きた人々も、こうして橋の下を覗き込んだりしたのだろうか。
そのようなことを思っていると、少し強めの雨が降り出したものだから、慌てていつものビニール傘を開き、足早に橋を渡り終えた。
雨が降って少しでも涼しくなればいいのだけれど、天然のミストサウナに入っているような湿度に覆われた全身からは、汗がじわーっと出始め、素敵な景色の中思ったのは、「早く来い、来い、秋よ来い」そのようなことであった。
しばらく歩いていると東屋があり、先客の方が雨宿りをしていた。
私も空きスペースを拝借して雨宿りをすることにした。
辺りを見渡すと、東屋の横にあった小さな池には蒲(ガマ)が生えていた。
蒲(ガマ)は上の画像のような植物で、私が目にした蒲(ガマ)も、画像のようにこんがりと焼いた蒲鉾のような姿をしていたのだけれど、もう少し経てば、この蒲鉾のような部分は弾けてタンポポの綿毛のような姿で飛んでいく。
そしてこの蒲(ガマ)は、『因幡の白うさぎ』や、その他の古い書物の中でも時々目にする植物なのだけれど、蒲鉾や蒲焼きの語源だという説がある。
このような場所に蒲(ガマ)がと思い、辺りを見回していると辺りに多数散らばっていた松ぼっくりが視界に飛び込んできた。
松ぼっくりは秋、冬のものというようなイメージがあるけれど、季節に関係なく自分のタイミングで落ちると言われている。
この話題は過去にも触れているので、こちらでは、松ぼっくりに植物たちの喉の渇きを教えてもらう方法でも。
観葉植物などを育てたいけれど、いつ水をあげればいいのかタイミングが分からないという話を耳にすることがある。
このようなとき、松ぼっくりの下部を親指の爪ほどの長さほど鉢に植え、松ぼっくりのヒダが開いているときには水をたっぷりとあげ、ヒダが閉じているときには水をあげないようにすると、水やりのタイミングを逃さないと言われている。
これは、松ぼっくりの種を守る性質を使った知恵である。
松ぼっくりは、ヒダの中に種を収納しているのだけれど、雨に濡れてしまうと遠くまで飛んでいくことができないため、雨の日など水分が多い日はヒダを閉じて種を守り、
晴れて乾燥している日は、風に乗って遠くまで飛ばすためにヒダを全開状態にする。
この作業を木の上で繰り返し、十分に種を飛ばし終えた順に木から落ちるのだけれど、この性質は木から落ちた後も無くなることはないという。
今は、水やりのタイミングを知らせてくれるガーデニンググッズのようなものもあるけれど、
お散歩中や旅先で見つけた松ぼっくりを鉢やお庭に植えて、松ぼっくりに植物たちの喉の渇きを教えてもらうのも、楽しいように思う。
東屋で、辺りに転がっている異なる形の松ぼっくりを眺めながら、そのようなことを思い出していると、雨が上がった。
まだまだ冷たいものを欲する体と共に、秋を待ち侘びるこの頃である。
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