雨がしとしとと静かに降っていたその日。
少しだけ窓を開け放しにして換気をした。
換気中であることを忘れたまま過ごしていると、家の中が妙にひんやりしていることに気付き、慌てて窓を閉めた。
そして、布団乾燥機の力によってふんわりと膨らんだ温かいお布団を前にして、大人げないと思いつつボンッと飛び込んだ。
ひんやりとした室内とふんわりと膨らんだ温かいお布団の組み合わせは、ぬっくぬくの部屋で口にするバニラアイスクリームにも似た魅力で、この誘惑にはどうしたって抗えない。
自分の大人げなさをこうやって肯定しながら、しばしの間、みぞおち辺りから体中にじんわりと広がっていく暖かさを堪能した。
そうそう、「みぞおち」。
ワタクシ、先日はじめて「みぞおち」は「鳩尾」と書くということを知ったのである。
「みぞおち」と手書きする機会は滅多にないけれど、手書きPC入力を問わず「みぞおち」は平仮名だと無意識に思い込んでいた私は、「みぞおち」には漢字があったのかと妙な感想を抱いた。
しかし、どうして鳩の尾なのか。
鳩尾(みぞおち)は、左右の肋骨(あばら骨とも)が胸の中央に向かい合わせたとき、骨の下辺りに骨が無い窪み部分ができるけれど、私たちは、この骨が無い窪み部分のことを鳩尾(みぞおち)と呼んでいる。
この骨が無い部分の形が、扇型のような、鳩の尾のような形に見えることから、鳩尾(みぞおち)と呼ぶ、というようなことが古い漢方医学書に記されているという。
鳩の尾のように見える場所だから鳩尾と書き記すというのであれば、呼び方はもっと他にあったのではないかと思うけれど、呼び方の由来はまた別のところにあった。
日本では、鳩尾(みぞおち)辺りは胃の入り口近くであり、口に入れた水が喉奥を通ってこの場所に落ちてくることから「水落ち(みずおち)」と呼ばれていた場所が、後に「みぞおち」と呼ばれるようになったという説が一般的である。
このような経緯から、この場所を表す漢字と慣れ親しんできた呼び名が合わさり、「鳩尾」と書いて「みぞおち」と呼んでいるのだ。
この場所を見て、鳩の尾を想像できるか否かには個人差があるように思うけれど、言われて見れば、そう見えなくもないように思う。
そのような背景を持っている鳩尾(みぞおち)なのだけれど、この場所を軽く見てはいけないと感じるのは、時折お世話になる経絡アロマセラピストに触れられたときである。
その道のプロに言わせると、鳩尾(みぞおち)に触れると、ある程度の体の状態がわかるというのだ。
鳩尾(みぞおち)辺りに触れたときに硬さを感じる場合、内臓が疲れていたり、頭が休まっていないとき、イライラが続いているときや食欲が落ちているという。
きっと、そう言われて自分の鳩尾(みぞおち)に触れてみても、多くの方は普段と変わらないと感じるのではないだろうか。
私もそうだったのだけれど、ほぐしていただいた後に触れてみると、その柔らかさから自分の体を随分と雑に扱っていることに驚いたほどの違いがあるのだ。
鳩尾(みぞおち)付近にあるツボを程よい力加減で刺激すると、内臓が元気にを取り戻したり、深く眠ることができて頭がすっきりとしたり、体が休まることで気持ちも落ち着いたりと嬉しい変化が表れるため、何となく疲れている方は、眠る少し前。
仰向けになった状態のときに、鳩尾(みぞおち)のツボを押してみるのも良いように思う。
ツボの場所は、左右の肋骨(あばら骨とも)が胸の中央に向かい合わせたとき、骨の下辺りの骨が無い窪み部分。
ここに親指以外の両方の指先を軽く突き刺すようなイメージで立てて、息を吐きながら優しく、ゆっくり押すだけ。
疲れが溜まっていると硬かったり、違和感を覚えたりすることもあるので、そのような時は無理をせずにツボの場所を手のひらで摩ったり、温めるイメージで手のひらを乗せて置くだけでもいいのだそう。
たったそれだけで?と思ってしまうけれど、酷使されている体からすれば、たったこれだけのことも嬉しい心遣いになるようだ。
何か思い当たることがあるという方は、お布団の中で鳩尾(みぞおち)付近を労わってあげてみてはいかがでしょう。
そして、そのときに「みぞおち」は「鳩尾」と書くこともチラリと思い出していただけましたら幸いです。
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