幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

当たり前でワンダフル。

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パソコンのキーボードを叩く手を止め、体を仰け反らせて天井を見上げた。

知っているはずの天井なのだけれど、こんな柄の壁紙だったかなと度々思う。

自分で選んだものだったならば何となく記憶に残っているのかもしれないけれど、そうではない場合、なんといい加減な記憶だろうか。そう思うのも毎度のことである。

そのようなことを思い出しついでに浮かんだのは、先日乗った電車内の光景だった。

各駅停車に揺られることを選んで車中へ入ると乗客は疎らで、横並びの座席は普段よりも広く、大きく見えた。

床には、外から差し込む陽射しによって窓枠や広告の影が伸びており、穏やかな時間が流れていた。

ホームを挟んで隣に停車した特急電車に乗っていたら、このような穏やかな光景と時間はなかっただろう。

私は、誰も座っていない横一列の場所を選び、その真ん中に腰を下ろした。

特急電車に乗ることができるにも関わらず普通電車を選んで乗ったことを吐露すれば、時間の無駄遣いだと言われることもあるのだけれど、

私にとってこういった時間は、とても贅沢な時間の使い方のひとつであり、心地よい時間でもあるため、こうして時折、贅沢な時間をうふふふっ♪と楽しむのである。

この日、私の斜め前の座席には幼い少年と父親の親子連れが座っていた。

少年は、父親に何かを尋ねられる度に「うーん」「えーっと」と可愛らしい声を発しながら天井を見上げるのである。

その様子を視界の端で微笑ましく感じながら電車に揺られた。

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人は、考え事をするときに無意識に上を向く傾向がある。

これは、そのような仕草をした方が、「いかにも考え事をしているように見える」という演出的な表現を、どこかしらで目にしたことがきっかけになっていたり、

子どもの頃に周りの大人たちがそうしている姿を見て真似ているうちに、考え事をするときには上を向くものだという思い込みが生まれ実践しているといった見解があるという。

他にも、私たちの脳が、考え事に集中できるように、視界に入る情報を無意識に減らそうとして天井や空など上を見上げているという見解をもつ専門家もいるのだそう。

上は向かないけれど目を閉じて視界を暗くした状態で考え事をするのも、これに近い動作なのかもしれない。

明確な理由は未だ見つかっていなかったと記憶しているのだけれど、どちらにしても、随分と幼い頃にこの動作が人に備わるようなのである。

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現にその日、私が目にした少年は3歳か4歳くらいに見えたのだけれど、既に自分なりの答えを出すまでの間、車内の天井を見上げていた。

それが、模倣なのか本能によるものなのかは分からないけれど、人って自分が思う以上に謎だらけで面白い。

再び少年の方へ視線を向けると、今度はしっかりと腕を組んだあと、片方の手を顎に当て、やけに大人びた仕草で天井を見上げていた。

あれはきっと、周りにそのような仕草をする大人がいるに違いない。

今の自分は、これまでに出会った人や目にしたもの、触れたもの、感じたものでできている。

それは、当たり前のことでもあるけれど、ワンダフルなことでもある。

そのようなことを思った車中である。

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