郵便物の中に一面シロツメクサのポストカードが紛れていた。
自然を恋しく思う気持ちが反応したのか、その一枚を真っ先に手に取った。
一息つきながら、そのシロツメクサを眺めていたはずなのだけれど、いつの間にかカードの中にあるかもしれない四葉のクローバーを探している自分の無意識にハッとした。
鑑賞用としてではなく緩衝材として日本にやってきたシロツメクサだけれど、今ではすっかりラッキーモチーフである。
いつだったか、アウトドアを楽しんだ印に持ち帰ったシロツメクサを飾ったことがあった。
その日の夜に初めて、シロツメクサの葉は夜になると葉を閉じるのだと知った。
日の出と共に起きて、日の入りと共に眠りにつく。
とてもシンプルだけれども、そんなシロツメクサの葉っぱを見て自分の日々を振り返った。
そして、厳選した本当に大切なことだけに集中して、あとの時間は心身を休めるためや人生をもっと楽しむために使ったら良いのにと思った記憶がある。
現実は、良くも悪くも様々なモノゴトに忙殺されることが多く、1日は、あっという間に過ぎてしまうのだけれど。
それでも、月に1日くらいはスマートフォンもパソコンも使わない、見ない、触れないデトックスデーを設けて過ごしてみようかと密かに思っていたりする。
そう思ったそばからスケジュールをスマートフォンで確認しているところを見るに、一度手に入れたものを手放すことを実行するためには、ちょっとした覚悟や意志が必要であるようだ。
そのようなことを思いながら、空いたマグカップを手にキッチンへ。
そして、冷蔵庫の中にある中途半端に残っている春巻きの皮をどうやって食べ切ろうかとメニューを巡らせていると、春巻きの皮は火を通さなくても食べられると知ったときのことを思い出した。
春巻きの皮は餃子の皮と同じように小麦粉が使われているため、「火を通して食べるもの」と思い込んでいる方が多いけれど、春巻きの皮は既に焼いてあるため、袋から出した状態で食べることができるのである。
だから、北京ダック風の具材を巻いたり、タコスの具材を巻いたり、アイスクリームを包んだり、ピザ生地代わりにしたり、生春巻きの具材を巻いて楽しんだり、サラダやチキンを巻いてラップサンドウィッチにしたり、幅広く活躍してくれる一品だ。
私自身、「火を通して食べるもの」という思い込みがあった時には、残ってしまうとまた油を使わなくては……と思っていたこともあったけれど、
春巻きの皮の製造工程を知ってからは、中途半端に余っても困ることがなくなったように思う。
もし、春巻きの皮は揚げるなどして火を通して食べるものという思い込みがあった方は、この機会に柔軟な発想で楽しんでみてはいかがでしょうか。
「これまで通り」に執着することを止めて、「思い込み」も取っ払ったら、たくさんの新しい世界が広がっているように思います。
何かしたのキッカケの種にしていただけましたら幸いです。
関連リンク:
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/