テーブルの上に広げた色鉛筆を横目に、ルイボスティーのお替りを求めてキッチンへ向かった。
新しいティーパックをマグカップに入れてお湯を注ぎ入れながら、「あれは髭だろうか」と思った。
私が手っ取り早く頭の中を空っぽにしたいときにすることの一つに、大人の塗り絵がある。
はじめは、塗り絵をしながらも脳内で様々なことを考えているのだけれど、次第にそれが落ち着いて、ただただ無心に色を塗り重ねていくだけの状態に入ったときの心地良さがたまらないのである。
その日は、空いた時間を利用して小さな図柄を一つ塗り終えたのだけれど、もう一つと欲が湧いた。
塗り絵本を目の前に立てて目を閉じ、小さな深呼吸をした後にページをエイッと開くと、ツタンカーメンが現れた。
ツタンカーメンが出てくるような雰囲気の塗り絵本ではなかったこともあって「えっ!?」と声を出してしまったけれど、その日、2度目のお題はツタンカーメンに決定した。
黒い線で描かれたシンプルなツタンカーメンを、どのような色で仕上げようかと考えを巡らせながら気になったのが、冒頭の「あれは髭だろうか」である。
髭は、様々なダメージから肌を守るためのアイテムとして生やし、伸ばしていたという面もあるけれど、それとは別に権威を表すもの、神聖なものとして扱ってきた文明が多数存在している。
このようなことを思うと、ツタンカーメンの「あれ」も間違いなく髭だろうけれど、あれほどまでにも立派な髭に整えられるものだろうかと思いかけて、整えていたはずだと思い直した。
エジプトと言えばクレオパトラ。
彼女の美容知識やメイク技術は現代でも真似られ、応用されているくらいである。
時を同じくして存在していた男性たちも身だしなみには気を配っていたに違いない。
そう思って髭に関して調べてみると、古代エジプト時代の王様は、衛生面を考慮して髭を剃っていたというのである。
権威よりも衛生面を取る辺り、美や健康の最先端をいく文明だったのだと改めて興味が湧いた。
しかし、古代エジプト時代でも髭が大切なアイテムであることに変わりはなかったようで、ここでは、死後の世界の神様とエジプトの王が同じであることを示すための重要なアイテムとして考えられていたようだ。
そこで彼らが考えたのがフェイク髭である。
多くの文明では生前の権威を示すものとして使われていた髭だけれど、当時のエジプト王は衛生面を取り髭なし状態なので、ツタンカーメンにフェイク(つけ髭)を付ければいいじゃないという考えたのではという話があるという。
現代を生きる私は、剃るも生やすも自由だと思ってしまうけれど、髭ひとつとってみても、その扱いや意味には時代が色濃く反映されているようである。
ツタンカーメンのフェイク髭も神聖なものであることに変わりない、ということを知ったその日の私は、塗り絵モチーフとして目の前に現れたツタンカーメンの髭を、日本で高貴な色と言われているジャパニーズパープルで塗って差し上げた。
そして、和の伝統色で塗りあげたツタンカーメンを眺めながら、和風バージョンも乙ではないかと思うのであった。
「髭」や「ツタンカーメン」の話題に触れる機会がありました折には、今回のお話の何かしらをチラリと思い出していただけましたら幸いです。
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