駅へ向かう道すがらにある駐車場の一辺には20メートルほどの花壇が設けられている。
そこに植えられているのは紫陽花で、この時季は、青々とした葉が茂っており、これから咲く花の蕾が付き始める頃である。
先日、久しぶりにこの花壇前を通ったのだけれど、作業員の方々が紫陽花を全て引っこ抜き真っ新な花壇が出来上がっていた。
力強い生命力を持つ紫陽花は育てやすいように思うけれど、枝を切り落とす手間や、冬から春にかけて地味な枝のみになることを思うと、
駐車場の一辺に植えるのは、1年を通して葉が落ちない常葉樹の中から選ぶ方が、風よけ、日よけ、目隠しにもなり実用的ということなのだろう。
駐車場近くに止めてあったトラックの荷台には常葉樹であろう木が積んであった。
紫陽花を引っこ抜いたそこに現れた風通しの良い空間に清々しさを感じたけれど、たわわに咲く紫陽花を見ることができないことを残念に思った。
と同時に、この場所に咲く紫陽花に癒されていたことに遅れ馳せながら気が付いたのである。
さて、今年は雨に濡れる紫陽花鑑賞をどこで楽しもうか……。
紫陽花好きとしては、そのような問題が浮上したのだけれど、またどこかで出会うであろう素敵な紫陽花を楽しみに、今年の梅雨もご近所を、お気に入りの傘と一緒に散策をしてみようと思う。
トラックの荷台に積んであった常葉樹の緑色が、花壇にズラリと並ぶ様子を想像しながら目的地へ向かっていると、「みどり(緑)」という言葉が意味する偶然を思い出した。
もともと、「みどり(緑)」という言葉は、瑞々しさや若々しさなどを表していたようなのだけれど、先人たちは、そこから新芽や若葉を連想したのか、新芽や若葉などの植物が持つ色を「みどり(緑)」と呼ぶようになったという話がある。
また、芽が出る様子が語源だとも言われており、「みどり(緑)」には成長する様子が含まれているようなのだ。
そして、「みどり(緑)」はグリーンと表現することもできるけれど、こちらの語源も古い言葉で「成長する」という意味を持っているそうで、みどり色には、生命力や成長の様子が内包されているように思う。
全く異なる発音や表記であるにも関わらず、国内外で、同じような発想を元に生まれた、同じものを指す言葉があるのだから言葉の世界は興味深い。
つい、艶やかな花へと意識が向いてしまいがちですが、
この時季の緑色は、瑞々しくて若々しく、これから成長するエネルギーに満ち溢れています。
外を歩く機会がありました折には、この時季ならではの緑色に癒されてみてはいかがでしょか。
そして、今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。
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