外を吹く風と本格的な夏がくる前の日差しが気持ちよくて、アイスティーを入れたグラスを手に外へ出た。
ゴロゴロと入れた氷が水滴をグラスに作るまであっという間で、暑い夏が近づいてきていることを感じた。
この日、1本の連絡が届いた。
気にかけていた案件の結果報告だったのだけれど、それがあまり良いものではなく、どうしたものかと思ったけれど、今出来ることを探していたら思わぬところに小さな出口があった。
当初思っていたような最短ルートでゴールへ向かうことはできないけれど、今回は少し遠回りをしてゴールへということなのだろう。
とは言え、少しの遠回りをする中で、大きなショートカットルートが不意に現れることもゼロではないだろうし、やはり、出来ることから一つずつ。
そのようなことを思いつつグラスに手を伸ばすと、アイアン製のガーデンテーブルに流れ落ちた水滴が作った地図が広がっていた。
ストローで吸い上げたアイスティーとそれが相まって何だか涼し気に見え、特別な理由はないけれどワクワクしてしまった。
私たちにとってアイスティーやアイスコーヒーは、特段変わった飲み物ではないけれど、イギリスでは邪道と言われるような飲み物だった。
あちらにいる知人に聞けば、最近になって漸く、アイスティーやアイスコーヒーを外でも気軽に飲めるようになったと言っていたけれど、
私が住んでいた頃は、紅茶もコーヒーも温かい飲み物と相場が決まっていた。
今思えば、1日の中に四季があると言われる気候の国では、紅茶やコーヒーが冷たい飲み物である必要が無かったのかもしれないけれど、そうとは知らない私はアイスティーを注文し怪訝な顔をされたことが幾度もあった。
まぁ、そのような顔を幾度もされて、ここでは紅茶もコーヒーも温かい飲み物と相場が決まっているのだと知ったのだけれど。
見慣れないものは避けたくなることもあるけれど、熱くなった体の中心を伝うアイスティーやアイスコーヒーの美味しさと心地よさに気付き始めて、あの相場が崩れ始めているなんて、何だか妙に興味深い。
いつだって、答えは一つではない。
頭ではノーという答えが出ているけれど、体験してみたらイエスということも多々転がっている。
イエスもノーも、好きも嫌いも、まずは触れてみてから。
幾つになっても、好奇心やフットワークの軽さを胸に過ごしたいものである。
そのようなことに思いを巡らせた午後のひととき。
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