色も素材も「夏」という装いが季節に合わなくなってきているため、夏色をした衣服を少しずつ片付け始めた。
秋冬物への衣替えだ。
とはいうものの、10月頃までは残暑が厳しく、本格的な秋の装いを楽しむことができるのは、もう少しだけ先。
だから、ここからしばらく続くであろう季節の狭間は、夏素材を上手に使った秋色の装いで乗り切る算段である。
そのようなわけで、クローゼット内を眺める時間が増えているのだけれど、この時間は、来年まで持ち越す服か否かを自身に問う時間でもあり、想像以上に気力を消耗するようにも思う。
その日は、シーズン最後のお手入れを施した衣服をクローゼットに戻したついでに、ブラックフォーマルも総点検しておくことにした。
トレンドを追うようなアイテムではないため頻繁に買い替える必要もないものだけれど、いざというときに「何だか変」「サイズが……」などと慌てないために、時折試着するようにしている。
それにしても、女性だけが正喪服、準喪服、略喪服の3パターンもの喪服を使い分けなくてはいけないことを、少々厄介だと思ってしまうのは私だけだろうか。
近年では、格式高いシチュエーションや特に礼節に厳しいお家柄でなければ、昔とは違いブラックフォーマルの基準が緩くなってきているため、それほど神経を過剰に使うこともないけれど、全ての形が決まっていた昔の女性たちは大変だっただろうと想像する。
更に、白喪服から黒喪服への移行時期の女性たちは、特に大変だったのではないだろうかと。
今でこそ、葬儀での服装といえば黒喪服という回答が一般的だけれど、もともと日本は白喪服の国で、黒喪服に変わってからは、まだ100年ほどしか経っていないのだとか。
白はとても清らかなイメージを持つ色ということから、亡くなった方をお見送りする際の色として相応しいと思われていたようだ。
しかし、時代が変わり、生活の様々なシーンで西洋文化を取り入れる中で、日本も欧米の「亡くなった方を見送る際の服装は黒」というスタイルに合わせるようになったそうだ。
今、葬儀の場に全身純白で参列したら非常識と見られるのだろうけれど、昨日までの常識が今日からは非常識、昨日までの非常識が今日からの常識、なんてことは古より、何度も繰り返されている。
例えば、車に乗ったら必ずシートベルをすることが常識化、義務化しているけれど、義務化されていない時代があったように。
今年は様々なことが新しい形に変わっているけれど、一喜一憂しすぎずに、できるだけ柔軟な気持ちで過ごしたいものである。
そのようなことを思いながら総点検を終えたブラックフォーマル一式をクローゼットに戻した日。
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