藤棚が美しい季節になった。
紫色の花房が垂れ下がる姿が美しい、日本古来の花と言われる藤(ふじ)は、
古くから人々の心を魅了し、古典や絵画などの中にも多く登場するモチーフだ。
その見た目の印象から想像するよりも強く、はっきりとした甘い香りは、
今でも、お香や香水の香りとして親しまれており、
日本らしい香りのひとつと言っても良いように思う。
また、藤の花は、女性らしさの象徴としても扱われていた花。
藤(ふじ)を女性とするならば男性は?と思うのだけれども、
男性らしさの象徴は、厳格さと力強さを兼ね備えた包容力を想像させる松の木なのだそう。
先人たちは、この象徴を大切に扱っており、
松の木のそばには藤の花を、藤の花のそばには松の木をいう風にセットにして植えいたと言う。
古い古典や絵画、何かの挿絵などを注意深く見ていると、
藤(ふじ)と松がセットになって描かれているものが多いのは、このような理由によるものだ。
平安時代に読まれた歌の中には数多く藤の花が登場するのだけれど、
清少納言によって書かれた枕草子の中にも藤(ふじ)と松がセットで登場する一節がある。
歌と藤の花を語る際、多くの方が必ずといっていい程触れるものなのだけれど、
『めでたきもの』の冒頭に「色あひ深く、花房ながく咲きたる藤の花、松にかかりたる」とある。
深い色合いで、長い花房を揺らしながら咲いている藤の花が、松の木にかかっている様子の描写なのだけれど、
藤(ふじ)は女性を、松は男性をということを知った上で読むと、
艶やかな着物をまとった女性が恋仲である男性に、寄りかかる様子を綴った、
情緒ある一節だということが想像できる。
どうして、これほどまでに当時の人々は藤の花に魅了されたのか。
もちろん、その美しさゆえのことだとは思うのだけれども、
そこに色の心理も働いているのではないだろうか、という見方もある。
古の日本では、紫色を位の高い人のみが使うことができる高貴な色として扱っていたことがある。
使ってはいけない色があるなんて、今の私たちには想像もできないようなことだけれど、
そのような時代だったからこそ、紫色をした藤の花が強く愛されたのかもしれない、という見方だ。
その一方で、位が高く、高貴な色とされていた紫色を忌み嫌う時代もあったという。
理由は、紫色が喪服に使われていた時代があり、その喪服は藤衣(ふじごろも)と呼ばれていたのだとか。
このような歴史が受け継がれている地域では、今でも紫色を縁起が悪いと感じることもあると言う。
このようなことを知っても、やはり私は、春風に優しく揺れる花房の美しいこと、
などと思いながら藤の花の美しさに毎年魅了されてしまうのだ。
そして、藤棚を見上げたまま思うのだ、「美味しそう……」とも。
藤(ふじ)はマメ科の植物なので天ぷらにしても美味しい花なのだ。
まだ、人生の中で、数えられるほどしか口にしたことはないのだけれど、
山菜同様、春の楽しみのひとつだ。
もうしばらく楽しめそうな、艶やかな藤の花。
目にする機会がありましたら、今回のお話をちらり思い出していただけたら嬉しいです。
そして、召し上がる機会がありましたら是非一度、藤の花の天ぷらもご賞味あれ。
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