幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

二度見した掲示板と夏の音色。

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人は予想外のものを目にしたとき、二度見、三度見をすると言うけれど、本当だと思った。

10日程前だったと思うのだけれど、道すがら、昔ながらの掲示板が目に入った。

様々な地域情報もスマートフォンひとつで手に入るようになったけれど、手書きのお知らせが貼り出されている光景は、不思議と気持ちを和ませてくれるように思う。

私も何となく和んだような気分で掲示板の前を通りかけて、冒頭の二度見である。

その掲示板には、筆字で「風鈴の音に苦情が出ております。風鈴を吊り下げる時間帯にご配慮願います。」と書かれた紙が貼ってあった。

風鈴の音色を自由に楽しむことができない場所もあるのかと、少し驚いた。

外に吊り下げられた風鈴が夜風に靡き、ひと晩中チリンチリンと音を奏でていたのだろうか。

それとも、これだけ様々な音が行き交う、静かだとは言い難い場所だと、騒音のひとつとしてこのような苦情が出てもなんら不思議ではない、ということなのだろうか。

風鈴の音を想像したときに、涼やかなイメージを思い浮かべることができる方は、実際に風鈴の音を聞くと、体温が少し下がると言われている。

私は涼やかなイメージが思い浮かぶこともあり、夏が過ぎた頃に時折耳にする、夏の忘れ物のような風鈴の音色にブルッと身震いし、風鈴を早く取り込んで欲しいと感じたことがあるけれど、夏はこれからである。

貼り紙にあった苦情の詳細までは分からなかったけれど、風鈴を楽しむにも様々な配慮が必要ということなのだろうと思った。

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暑い日々に涼やかさを運んできてくれる風鈴は、中国から伝わったもので、もとは「風鐸(ふうたく)」と呼ばれていたという。

本場では、占風鐸と呼ばれる占術に使われていたのだけれど、日本では占術の道具としてではなく、邪気祓い、災厄除け、魔除けといった用途で定着したのだとか。

随分と古い時代に日本に伝わってきた風鐸(ふうたく)は、平安貴族たちも軒先に吊るして邪気を祓っていたといい、この頃から風鐸(ふうたく)は「風鈴」と呼ばれるようになったといわれている。

風鈴の本来の用途は邪気祓いだったということもあり、風鈴そのものに季節の要素は含まれていないはずなのだけれど、

いつ頃からか、邪気祓いだけでなく、目や耳で楽しむ夏の風物詩となったようだ。

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風鈴祭りや風鈴市などが行われる季節です。

そしてこの時季は、お寺の屋根の四隅に風鈴が吊るされていることもあります。

これは邪気祓いや再厄除け、魔除けとして吊り下げられているそうなので、ご旅行やお散歩時に目にする機会がありました際には、風鈴本来の名残を感じてみてはいかがでしょう。

厳しい暑さや日常のあれやこれやに飲み込まれそうになることもありますけれど、

そのような時には早めにひと息ついて、風鈴の音に耳を傾けてみるのも、上手に夏とお付き合いするための方法なのかもしれません。

本日も、皆さんに良き風が吹きますように☆彡

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“いつもどおり”ではない時間に出会ったもの。

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自宅近くで夏祭りの準備が始まっていた。

辺りには、遠足や学園祭前のような非日常的高揚感が漂っており、胸の内側が、その空気につられて弾むような気がした。

お祭りの本番には行くことができないだろうと思い、辺りを少しだけ散策し、準備風景から夏祭り気分を感じることにした。

お祭りの裏側をのぞきみるということは、時折「知らなきゃよかった」と思うような場面を捉えてしまうこともあるのだけれど、それはそれ。

大人の度量で受け止めてサラサラリと水に流し、気持ち新たに夏祭り気分を味わうのである。

そのような裏側も楽しみつつ歩いていると、吊り下げタイプの苔玉を並べているお店を発見した。

インテリアショップなどで時々見かけるようなものと大差なく、おしゃれなデザインのものが目に留まった。

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中には昔ながらの、苔玉の下に風鈴が吊り下げられたものもあり、とても涼し気だった。

しかしワタクシ、この物体の名をこの時に初めて知ったのである。

この吊り下げタイプの苔玉は「釣り忍(吊り忍/軒忍)」という呼び名があり、日本の古い園芸文化のひとつなのだそう。

釣り忍(吊り忍/軒忍)とは、針金や竹などを芯に使い苔を巻き付けながら、様々な形に形成したものに、

シダ科の「しのぶ」という植物を巻き付けたり、差し込んだり、這わせたりして「忍玉(しのぶだま)」を完成させるという。

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もとは、江戸時代の庭師たちがこれを作り、お得意先へ贈ったのが始まりで、定番とされている丸い忍玉(しのぶだま)以外にも縁起物の形をしたものもあったのだとか。

最近では、古の良さを引き継いでいるデザイン以外にも、現代人の住まいに合ったデザイン性の高い釣り忍も増えているそうだ。

当時から様々な形があったところを見ると、忍玉(しのぶだま)は、当時の庭師たちの腕の見せ所であり、作る楽しみを爆発させられるものでもあったのかもしれない。

また、この忍玉(しのぶだま)に風鈴が吊り下げられているものも見かけるのだけれど、こちらのタイプは、涼し気な釣り忍(つりしのぶ)の雰囲気に加えて、

先日触れた、風鈴が持つ「邪気祓い」まで兼ねることができるという理由で、当時から人気があったのだとか。

てっきり、盆栽や苔玉ブームの波にのって登場した、インテリア雑貨の類だと思っていたのだけれど、歴史あるものだったようだ。

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シダ科の「しのぶ」という植物は、暑さや乾燥、寒さにまで強く、お手入れ無しで良いというわけではないものの、

植物を育てるのが苦手だという方でも扱いやすい植物だということで、最近は、ちょっとした夏の手土産に利用する方も増えているそうだ。

あまりにも素敵な「釣り忍」が多数並んでいたものだから、足を止めて眺めていると、お祭り準備真っ只中だった店員さんが、準備の手を止め、このようなお話をしてくださった。

「葉っぱが刺さっている吊り下げタイプの苔玉」などと適当に呼んでいたのだけれど、今日からは「釣り忍」と呼ぼう、そう思いながらその場を後にした。

意気込んで出かける夏祭りも良いけれど、こうして自由気ままに散策するプレ夏祭りも思わぬ出会いがあり、いいものである。

釣り忍を目にする機会がありました際には、今回のお話の何かしらをチラリと思い出していただけましたら幸いです。

そして、たまには“いつもどおり”ではない時間など、いかがでしょうか。

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「骨ホロリ」の心配ご無用、お酢のチカラ。

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その日も窓を、何度、開け閉めしただろう。

エアコンのスイッチを、何度入れたり切ったり、冷房にしたり除湿モードに切り替えたりしただろう。

こんなことをしているから夏が苦手になるのだろうと、自分を分析してみたりもするのだけれど、もうこればかりは止められないように思う。

あまりにも気温が激しく変動するものだから、適温が分からなくなっているような気もするのだけれど、私の動物的本能がそうさせるのか、この時季になると体がお酢を欲するようになる。

毎日積極的にお酢を摂取しているわけではないけれど、苦手だということもないため、一年を通して口にする調味料のひとつだ。

しかし、これからの数か月間は、目に見えて消費量が上がるところを見ると、私の動物的本能は、まだまだ健在のようである。

その日も、日中の気温が高かったからなのか気が付けばキッチンで、鮭と太ネギとレモンを使った南蛮漬けを作っており、いつぞやかに知人たちと会話にあがったお酢の話を思い出していた。

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確かその時も、皆で南蛮漬けを食べていたのだけれど、知人の一人が言ったのだ。

毎日お酢を飲み続けたら、私たちの体の骨はホロリと崩れるくらい柔らかくなってしまうのだろうか?と。

もし仮に、そのようなことが起こるのだとしたら、既に話題になっているだろうし、国や医療機関等から目安となる摂取量などについて、今よりもしっかりと伝えられているのではないだろうかと、数人が口にした。

知人は「それもそうか」と一度は納得したように見えたのだけれど、お酢を飲んでいる人は体が柔らかいと言うし、いつかは骨も……と食い下がった。

するとこの手の内容に長けた方が、確かにお酢にはカルシウムなどを溶かすような特徴があるけれど、人が口にするくらいの量で骨を構成しているカルシウムを溶かすことはないはずだと言った。

私もその後、何度かこの話題に触れる機会があったけれど、

私たちが口にしたお酢が体内で消化され、必要な栄養として体に行き渡り、不要になったものが体外へ排出されるという短時間でお酢が人の骨を溶かすことは難しいのだそうだ。

何より、皆さんもご存知のとおり、疲労回復や美肌、血の巡りを良くするなどの、体に与えるメリットの方が多いようだ。

ただ、長時間お酢の中に浸かって過ごしたとしたら、お魚やお肉同様に柔らかくなったり、骨がホロリという可能性もゼロではないのではないだろうかと、言われていた。

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どのようなものにも、薬にも毒にもなる可能性があるということだろう。

そのような話を思い出しつつ、粗熱が残っている鮭の南蛮漬けをひと切れ、口の中に入れた。

そうそうそう、体が欲しているのはこの酸味。

今年もお酢のチカラを借りる気満々である。

お酢が私たちの骨を溶かしてしまう心配は無さそうなので、皆さんも、

お嫌いでなければ、お酢のチカラで日頃の疲れを吹き飛ばしてみてはいかがでしょうか。

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夏のサインと氷で淹れるお茶のおはなし。

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今年も色香を纏ったようなクチナシの花の香りに、胸の奥をぎゅっと掴まれる季節がやってきた。

クチナシの花は、春の沈丁花、秋の金木犀と肩を並べて日本の三大香木と言われており、夏を告げる花でもある。

こうして辺りを見渡してみると、至る所に夏の知らせが点在していることに気が付く。

自然は、私たちが使っているような「言葉」は使わないけれど、いつだって「突然」というような無粋なことはせず、何かしらのサインを送ってくれているように思う。

以前、ベランダでクチナシを育てたことがある。

実家の庭できれいに咲いていたものを私の気まぐれで連れ帰ったのだ。

クチナシが急な引っ越しに戸惑ったのか、根を大地に直接張ることができない鉢植えという新スタイルに戸惑いを感じたのかまでは分からないけれど、連れ帰った翌年は一輪も花を付けずにクチナシの季節が過ぎた。

悪いことをしてしまったと思いながら冬を越し、マンションのベランダで迎える2度目の夏がやってきた。

すると今度は、「これが2年分の花よ、存分にご堪能あれ」と言ってるかのように、次々と白い花を晩夏が過ぎる頃まで咲かせ続けた。

初めは嬉しくて咲いた花を数えていたのだけれど、覚えていられないほどの数となり、その年はベランダも家の中も、色香あるクチナシの香りがホームフレグランスとなった。

しかし、その年の花を最後にクチナシの木は土へと帰っていった。

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開け放った窓から微かに流れ込んできたクチナシの香りで、あの年の贅沢な夏を思い出しながらお茶でもとキッチンに立った。

少し蒸し暑く感じたため、緑茶を氷で淹れることにした。

ボウルに重ねたザルに少し多めの緑茶葉を入れ、その上にマグカップ一杯分ほどの氷を乗せて、氷が自然に溶けて水になり、茶葉の中を通ってボウルに落ちるまで待つ。

室内温度によって多少異なるけれど、時間にして15分から20分といったところだろうか。

ぽとり、ぽとりと落ちる若草色をした氷だし緑茶を眺める時間があれば、それはそれは優雅なリラックスタイムとなるところなのだけれど、

生憎バタバタとしている私は、この状態のままキッチンに放置し、20分で出来ることをしていることがほとんどだ。

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この日も氷が溶けたであろう頃を見計らってキッチンへ戻り、氷で淹れた緑茶をガラスポットに移し入れ、いただいた。

冷たすぎず温すぎないひんやり加減のそれは、渋みや苦みとは無縁で、ほんのり優しい甘味が体中に染み渡っていく。

私の淹れ方は慌ただしくて風情の欠片もないけれど、氷だしの緑茶もたまにはいいものである。

皆さんは、どのような夏をお過ごしでしょうか。

まだ夏らしいことは何も……と言うかたは、お茶を氷で淹れてみるのはいかがでしょう。

暮らしを楽しむ何かしらのきっかけにしていただけましたら幸いです。

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どうか、どうかお手柔らかにと思ふ小暑。

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7月7日の本日は七夕であり、小暑(しょうしょ)である。

小暑(しょうしょ)とは、本格的な夏に突入する頃のことを表す言葉で、梅雨が明けるサインでもある。

梅雨明けサインと言えば、5月辺りから目にするようになった立葵(タチアオイ)と言う植物を思い浮かべる方もいらっしゃるだろうか。

立葵(タチアオイ)は種類や色が豊富で、咲き姿はハイビスカスの艶やかさと朝顔の繊細な雰囲気を、和と洋の香りを、程よく混ぜ合わせたようで、梅雨葵という異名を持っている。

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異名が表しているように、梅雨入りする頃から咲き始めるのだけれど、空へ向かって真っすぐに伸びた茎の下部に位置する蕾から上に向かって順番に開花し、一番上の蕾が花開く頃になると梅雨が明けると言われている。

小暑(しょうしょ)前後は、梅雨の悪足掻きとでも言うべきか、集中豪雨などに見舞われることもあるけれど、ここから先は日に日に暑さが増していく。

夏が苦手で、塩を振りかけられた青菜のようになってしまう私は、小暑(しょうしょ)と見聞きするこの時季は、夏のワクワク感よりも身構える気持ちの方が勝るのだけれど、今年もこの記事をしたためながら「いよいよか……」と思っている。

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増していく暑さを体感しながら、暑中見舞いという言葉がちらつきはじめるのもこの頃ではないだろうか。

それもそのはず、この小暑(しょうしょ)から立秋までが暑中見舞いの期間で、今年(2019年)であれば7月7日から8月8日までである。

年々気温が上昇しており体感温度を思うと、夏のご挨拶のタイミングが分からなくなりそうになることもあるけれど、

大人のお作法として、暑中お見舞いのご挨拶をするのであれば、小暑(しょうしょ)に入り、梅雨をしっかりと見送ったぞと感じられたタイミングから立秋までに。

そして、立秋(2019年は8月8日)を過ぎたら、残暑お見舞いに切り替えを。

100年前と比べると夏の暑さや豪雨の厳しさレベルは段違いに上がってはいるけれど、先人たちが残してくれた二十四節季・七十二候の暦はそう大きく外れることが無いという不思議。

ふと迷ったときには、このような視点を頼るのも手である。

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そうそう、小暑(しょうしょ)があれば大暑(たいしょ/だいしょ)もあり、こちらは7月23日からである。

私の体感を勝手に付け加えることが許されるのであれば、この後に猛暑、激暑などと続いた後にようやく立秋とくるような体感なのだけれど、今年の夏はどうなることやら。

どうか、どうかお手柔らかに。

始まったばかりの夏に、そのようなことを思ふ小暑(しょうしょ)である。

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略奪を狙うツバメに目を光らせる見守り隊、ここにあり。

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細道を抜けて大通りに出ようと思い、普段あまり使わない道へ入った。

すると、細道へ入ってすぐのところに数人の、ご年配女性たちの姿があった。

特段気にすることもせず、女性たちの背後を通り過ぎようとしたところ、付近一帯へ視線を向けていた1人の女性が、「見て、雄ツバメが奥さんを横取りしようとしてるのよ」と声をかけてきた。

その力強い声のトーンに押され、半ば強引に足止めされてしまった私は、立ち止まってツバメの巣を見上げた。

すると、チェリーレッド色をした若々しいブラウスをまとった別の女性が、私の左腕をがっちりと掴みながら、事の顛末を話し始めた。

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そのお宅の軒下作られたツバメの巣には毎年ペアのツバメがやってきて子育てをするのだそう。

今年もペアのツバメが帰ってきて卵を産み、子育てをはじめ、先日5羽の子ツバメたちの巣立ちに立ち会ったという。

それからしばらくして、またペアのツバメが家の側を飛び回っていたため気にかけていると、既に出来上がっているツバメの巣の近くに、新しい巣を作り始めたのだそう。

お話して下さっている女性曰く、2度目の子育てを終えて旅立ったツバメ一家の空いた巣を使えばいいのに律義に、2人で(正確には2羽である)巣作りから始めたものだから、ご近所一同、応援していたとのこと。

しかし、その巣が完成間近を迎えたころ、事件は起こったそうだ。

どこからともなく1羽の雄ツバメがやってきて、既にペアになっている雌ツバメを略奪するタイミングを狙って度々ちょっかいを出してくるようになったという。

子育てを始めれば諦めて去っていくのでは?と思っていた私に女性は、雌ツバメを狙っている雄ツバメは、雛も狙ってくるから厄介なのと力強く続けた。

語尾が強調される度に、両手でぎゅっぎゅっと力強く掴まれる二の腕がそろそろ限界ですとは言い出し難い雰囲気に、もう聞き役に徹してしまおうと腹を決めた。

それから短い時間ではあったけれど、ここ数日の間に略奪を企んでいる雄ツバメが行った数々の悪行を聴くこととなった。

空き家を使わずに一から巣作りに勤しんだペアのツバメたちよ、どうかどうか無事に子育てを終えておくれ。

そして、略奪を企んでいる雄ツバメにも良きことがあるといいのだけれど。

そのようなことを思いながら、ジンジンとする二の腕を摩りながら、その場を後にした。

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七十二候(しちじゅうにこう)という暦には、4月上旬にくる「玄鳥至(つばめきたる)」と、9月半ば過ぎにくる「玄鳥去(つばめさる)」と呼ばれる期間がある。

言葉が表す通り、ツバメたちが帰ってくる時期と去っていく時期のことである。

厳しすぎる日本の夏を無事に超えることができるのだろうかと、ふと心配も脳裏を過るけれど、もうしばらく日本に居るツバメたちは、子育て真っ只中であり、長い旅路に備えて一生懸命成長中です。

ツバメたちを目にする機会がありましたら、エールを送ってあげて下さいませ。

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梅雨の残り香を、色褪せていく紫陽花と共に味わい納め。

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この時季になると、学生の頃に友人が言い放った言葉を思い出すことがある。

それは、「夏ってさ、どさくさに紛れてやってくるから嫌なんだよねぇ」というもの。

本当にその通りだと思って大きく賛同し、上手いこと言うなと感心したのだ。

確か、鎌倉にある紫陽花がきれいだと言われているお寺に行ってみようと盛り上がり、見頃を過ぎた梅雨明けの頃に行ったお寺での会話だったように思う。

紫陽花好きの私は、友人ととりとめのない話をしながら、雨露に濡れた紫陽花ももちろん好みなのだけれど、見頃を過ぎ、色が褪せはじめた紫陽花もまた、ピーク時とは異なる美しさがあって素敵だと思いながら紫陽花を眺めていた。

紫陽花の花びらは、一枚、一枚個性的な色の変化を見せながら色褪せていく。

グラデーションがあるわけでも、順番があるわけでもないけれど、不思議と調和が取れた色褪せ方をする。

「個々の個性を個々が発揮した先にも調和はある」と言われているような気もするし、「月日を重ねた先にしかない美しさもある」と言われているような気もするし……。

なかなか奥深くて観察しがいがある花である。

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しかし、これも私個人の自由気ままな視点に過ぎなくて、同じ紫陽花を眺めていた友人は、こんなに色褪せちゃった紫陽花は、干乾びる前みたいで見ていられないと言った。

これだから人の感性は面白いのだ。

そして、同じものを見ていても、こうも感じることは違うのかと笑いあった出来事である。

数年前にこの時の会話を覚えているかと尋ねたら、お寺へ行ったことは覚えているけれど、「夏ってさ、どさくさに紛れてやってくるから嫌なんだよねぇ」といった記憶はないと言った。

その代わり彼女の記憶には、「柊希は見頃の紫陽花ではなく、枯れる前の干乾びた紫陽花が好きだ」という正誤が中途半端に入り混じった記憶が残っていた。

人の記憶というものは、私も含めて、まぁまぁいい加減である。

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紫陽花は見頃を過ぎたこの時季も、落ち着きある色の変化で見る人を楽しませてくれています。

夏がどさくさに紛れにやってくる前に、この時季限りの梅雨の残り香を、色褪せていく紫陽花と共に味わい納め、してみてはいかがでしょうか。

暮らしの中で感じる今だけの季節を切り取って遊んでみてくださいませ。

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新事実を見聞きするその日まで。

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学校の制服を取り扱っている制服販売店のショウウィンドウに飾られていた制服が、いつの間にか夏物に衣替えしていることに気が付いた。

制服の着用が義務付けられていた頃は私服で過ごすことに憧れ、私服で過ごすことが当たり前になると制服の以外な良さに気付いたりもした頃のことを懐かしく思った。

私は学生の頃に、学校の制服がリニューアルするという経験をしたことがある。

新入生は新しい制服を身に纏い、上級生は前モデルの制服を身に纏っていたため、一つの学校内に2種類の制服を着た生徒たちが居るという状況で数年を過ごした。

私は新しい制服を身に纏っており、それはそれで気分が上がりはしたのだけれど、隣の芝生は青く見えたのか、

上級生たちが纏っている制服姿が妙に大人っぽく見え、前モデルの制服を心の隅で羨ましくも思っていた。

制服と言えば、様々なデザインタイプのものがあるけれどセーラータイプの制服は、イギリス海軍の、水兵の制服が日本に入ってきたことが始まりだという。

どのような経緯で女子学生の制服になったのか、その辺りの話は忘れてしまったのだけれど、セーラー服の特徴でもある大きな襟に関する話が幾つか記憶に残っているので、

今回はそのようなお話を少し、と思っております。

ご興味ありましたら、色々と突っ込みながらお付き合いいただけたらと思います。

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もともと水兵の制服ということなので、航海中にも着用しているものなのですが、あの大きな襟には、人の声を聞き取りやすくする目的で使われることがあったのだとか。

例えば、風が強い日、激しく雨が降っている時などに、大きな襟の端を両手で掴んで、グイっと持ち上げるようにして頭の後ろに広げることで、人の声をキャッチしやすく、聞き取りやすくなる。

という説があると言うのだけれど、私はこれを知った時、話を一緒に聞いていた友人たちと共に、大変失礼ながら大笑いしてしまったのだ。

そんな漫画のようなことがあるのだろうか、と。

この話を聞いたときには既に制服とは無縁になっていたこともあり、実際に試したことはないのだけれど、

耳の後ろに手を添えるとき、ほんの少し周りの音の聞こえ方が変わることを思うと、この説も至極真面目な説なのではないかと、遅れ馳せながら思い始めたこの頃である。

そしてもう一つ。

自由に入浴することができない船上生活を送っている水兵たちは、束ねられた髪の毛の汚れが背中についてしまうことを防ぐためにスカーフを巻いていたという。

しかし、毎日スカーフを巻くのも面倒だということから、制服にスカーフのような役割を担ってくれる大きな襟を付けたのだとか。

確かに毎日スカーフを巻く手間は省くことができるけれど、大きな襟部分が汚れることに変わりはなく、洗濯も頻繁にできなかったであろうことを想像すると、

簡単に取り外しができ、少量の水で洗うことができるスカーフを使う方が何かと便利だったのではないだろうかと、勝手なことを思ったりもする。

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本当のところは分からないと締め括られることが多いこれらの説だけれど、事実は小説よりも奇なりと申します。

いつか驚きの新事実を見聞きするその日まで、色々と突っ込みながら、これらの説を温めておこうかと思うこの頃でございます。

セーラー服を目にする機会がありましたら、チラリと思い出していただけましたら幸いです。

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ちょっとしたハプニングとナンチャッテを楽しむ夜。

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キッチンに立ち、ニンニクと生姜を効かせたお醤油ベースの調味液を作り、鶏のもも肉を取り出そうと冷蔵庫を開けた。

求めていたものは、もも肉だ。

しかし生憎、我が家の冷蔵庫内に鶏のもも肉は不在であった。

どうして調理開始前に確認しないのだろうかと毎回自分でも思うのだけれど、この手のちょっとしたハプニングを楽しんでいる私が、やはりどこかに居るのだろうと思う。

自宅からすぐの距離にあるスーパーに走っても良いのだけれど、冷蔵庫内には、ぷっくり肉厚のささ身肉があったものだから、この日は、ささ身肉を美味しくいただくことにした。

湿度も気温も上がり始め体力を奪われそうな夜は、暑さを吹き飛ばすような、なんちゃってエスニック料理もいい。

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筋をシュッと引き抜いて縦長に2等分にしたささ身を、塩味控えめの調味液に浸す。

この間に、中途半端に残っていたコーンフレークを適当に砕いて衣のスタンバイは完了。

コーンフレークは、プレーンでもお砂糖がまぶされているものでも良いけれど、甘味が加えられているものの場合は調味液にみりんやお砂糖は加えない方が、体に優しいように思う。

そうそう、忘れてはいけないのは、最後にトッピングする大葉だ。

大葉は、乗せ過ぎじゃない!?と突っ込まれるくらい大量に乗せるくらいが丁度イイため、迷わずザクザクと刻んで、フワッとするように空気を含ませるようにして解しておく。

調味液に浸しているささ身に薄力粉を振りかけてまぶして、最後はバッター液に浸したような状態になるように薄力粉を馴染ませたあとは、1本ずつコーンフレークの衣をまぶして揚げるだけ。

普段は衣に小麦粉を使うことはないのだけれど、下地に小麦粉を使っていると、コーンプレーく衣の程よいザックザク感が長持ちする気がして、このメニューだけは小麦粉を使っている。

揚げたてに、ナンプラーを回しかけ、例の大葉を豪快に乗せたら、なんちゃってエスニックの出来上がりである。

調味液に漬け込む際に“こぶみかん”の葉やレモングラスなどを一緒に漬け込んでおくと、しっかりエスニックになるのだけれど、

良く言えば和とエスニックの融合、正直に言えばズボラな日があっても良しということで、この日の柊希宅は、なんちゃってエスニックナイトとなった。

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ものごとが予定通り、希望通り、計画通りに進んでいくことは素晴らしいことだけれど、

そう進んでいいかないことも、敢えてフルパワーで過ごさないことも、なんちゃってになってしまうことも、そういう自分のことも自分のペースで楽しむことができると、

気持ちが軽くなったり、エネルギーチャージできたり、何気ない日をちょっぴり楽しい時間にすることができるような気が致します。

2019年も折り返し地点ですが、この辺りでホッと一息、身もココロもゆるゆるに緩める日を是非。

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不思議の国への扉の奥で出会った世界。

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『不思議の国のアリス』をモチーフにして作られたボックスを持っている。

これをいただいたのは7年前、いやもっと経っているだろうか。

年に1度か2度、その箱を開けたり閉めたりしながら眺めて一息つくのが、ささやかな楽しみのひとつである。

本当は、いつでも目が届く場所に飾っておきたいくらい素敵なボックスなのだけれど、とても繊細な材質のためキャビネットの中にしまっている。

ただ、近頃は、例え色褪せたとしても、それは共に在った印のようなもので、使ってあげてこそ生きるのではないだろうかと思い始め、キャビネットの中から取り出した。

まだ定位置も中に入れたいものも決まらず、キャビネットの上がボックスの仮住まいの場ではあるのだけれど、それが目に入ると「不思議の国」へ思いを馳せワクワクしている。

やはり取り出して正解だったようである。

取り出しはしたものの、今回はまだ一度もボックスを開け閉めしていないことを思い出してボックスを持ち上げると、カタンと耳慣れない音がした。

何も入れていないと思っていたはずのボックスの中に入っていた音の正体は、以前利用していた銀行のトークンだった。

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トークンとは、取引をする際に必要となる本人認証として、1度限り有効なワンタイムパスワードが表示されるアイテムである。

なぜ、このような場所にしまったのか記憶になく不思議だったけれど、トークンを使わぬまま取引を終えた銀行のものだ。

不思議な出来事は、もうひとつ続いた。

数日前、とある考古学の資料を目にする機会があったのだけれど、その中に「トークン」という言葉が登場した。

トークンという言葉は、様々なシーンで使用され、意味も様々だけれども、私の中でトークンと言えば銀行のそれらがメインである。

この日出会ったトークンとは何ぞや?と思い資料を読みすすめてみると、古代メソポタミアなどの遺跡から発掘されたものの中のあるものに、「トークン」という名が付けられているとあった。

こちらのトークン、粘土で作られたもので、円盤型、棒状、球といった形をした粘土のかたまりで、随分と古くから発掘されていたそうだ。

しかし、用途を見出すことができなかったようで、ただの「粘土のかたまり」として処理され廃棄されていたという。

しかしあるとき、粘土で作られたボウルのような容器状の中に、粘土で作られたかたまり、トークンが詰められていたものが発見されたのだそう。

粘土製のボウルの中にはトークンがピッタリとはまる窪みがあったことから、言葉や数字が存在していなかった時代、

ものの数など誤魔化す人が出ないよう管理する目的で使われていたものではないか、という推理をする学者が現れたという。

学者の推理はこうだ。

粘土が乾ききってしまう前に、粘土製のボウルの中に品物と同数のトークンを敷き詰めるようにして入れて封をする。

乾いたボウルは、叩き割らない限り中身を取り出すことができないため、品物を受け取る側は、数を誤魔化さずに届けられたかどうかボウルを叩き割ってトークンの数と品物の数を数えて確認したのでは?と。

そして、この学者は、ボウルの中に敷き詰められていた粘土のかたまりをトークン、ボウルの方をブッラと名付けたそうだ。

粘土のかたまりや、それらが敷き詰められていた粘土製のボウルの用途に関しては、異論を唱える方もいらっしゃるようで一説の域を超えてはいないようだけれど、そう言われると、そのようにも思えてくるのだから面白い。

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まさかのトークン繋がりの話題に触れることになった夜、あのボックスが不思議の国への扉を開けたのだろうか、などと思いながら、今度こそ空になった、お気に入りのボックスの中を覗き込んだ。

トークンという言葉に触れる機会がありました際には、今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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