仕事柄、目を酷使するため目薬が欠かせない。
3~4種類を常備し、その時々の状況によって使い分ける生活をしている。
その日もPCモニターから目を離さぬままデスクに置いている目薬ボックスに手を伸ばした。
その辺りに転がしておいても良いのかもしれないけれど、
少しでも気分が上がる要素を身の回りに置いておきたくて、
小さめのキラッと輝くジュエリーボックスを目薬ボックスとして使用している。
いざ目薬を点そうと手元を見ると目薬が無くなりかけていた。
もしや、と思い他も確認すると、全てが底をつきかけていた。
私としたことが!軽く身なりを整えて、近所にあるドラッグストアへと向かった。
目薬コーナーの前に立ち、しばし固まった。
花粉の季節も手伝ってのことだとは思うのだけれども、
愛用のそれらを探し出すまでに少し時間がかかってしまうほど、多くの種類の目薬が陳列されていた。
もしかして、今使っているものよりも良いものがあるのかしら?と
魅力的な誘い文句の数々を拾い見して思った。
そう言えば、本だっただろうか、いや、研究報告書のようなものだっただろうか。
その辺りの記憶は曖昧なのだけれど、読んだことがある。
人は選択肢が多ければ多いほど、
脳と精神的な領域が疲弊し、ストレスを感じ、間違った選択をしやすくなるのだと。
ある心理学者は、このことをジャムを使って実験していた。
それは、店頭に5種類ほどのジャムを並べたときと、20種類ほどのジャムを並べたときでは、
お客さんのリアクション(売上)にどのような違いが生まれるのかという実験だ。
たくさんの中から選ぶことが出来る方が楽しいような気がするのですが、
結果は売り上げに10倍の開きがあり、前者の場合の方が売れ行きが良かったのだそう。※数字は記憶が曖昧です、悪しからず。
人は選択肢が情報量が多すぎると、「選ぶこと」そのものに疲れてしまったり、
「自分の選択」そのものに自信が持てなくなることがあるのだそう。
だから、ショッピングであれば、これを回避するために「今日は買わなくてもいいや」と判断したり、
多くを考えずに「いつものものを買う」という判断をするのだそう。
情報に溢れ、自分の気持ち次第、責任次第で、様々な選択肢が目の前に広がる今。
決められたものを選ぶ以外許されなかった先人たちから見れば、さぞ羨ましいに環境に違いない。
だけれども、人との繋がりでさえSNS等によって、ある意味、情報化され、
自分にとって本当に大切な情報を選んだり、見極めることが難しくなっていることも事実。
いや、見極めるための時間が無いとも言い変えられるのかもしれない。
もし、多くの選択肢を目の前にした際に
「たくさんあって迷うな~」と嬉しい悲鳴を挙げるのではなく、
「何だか面倒だわ、いつものでいいや」と思ったのなら、
あなたの脳と精神的な領域が、
情報過多によるお疲れサインを送っているのかもしれません。
そのような時は、テレビを消してスマホを覗くことも脇へ置いて、
音も情報も無い自分だけの静かな時間を意識して作ってみてはいかがでしょうか。
「先人たちよ、自由だって、ときに、疲れるものなのでございます。」
そのような事を思いながら、いつもの目薬に新しい目薬を加えてその場を後にした。