我が家の近所には少し大きな公園がある。
敷地を大きな木がぐるりと取り囲み、地面は、見るからに手触りの良さそうな、ふさふさの緑の葉で覆われている。
公園内に一歩足を踏み入れると、草木のマイナスイオンが解き放たれているのか、少しだけヒンヤリとフレッシュな草木の香りが鼻を擽る。
そして、公園の所々にはシンプルな石材ベンチが置かれており、ご年配の方々の憩いの場になっていたり、近所の小学生たちの遊び場になっていたり、犬のお散歩コースになっていたりするようなところだ。
ある日、その公園の前を通っていると、道路と公園を仕切るフェンスぎりぎりの所に数名の子どもたちがしゃがみ込んでいた。
何をしているのだろう、と興味の視線を向けつつ通り過ぎようとして思わず目を丸くしてしまった。
公園中のシロツメクサを摘んでいるのだろう。
ひとりの女の子が自分のスカートのすそを両手で引き上げて籠を作り、他の女の子たちは黙々とシロツメクサを摘み、摘んだ花をスカート籠の中に手際よく放り込んでいた。
その、職人を彷彿とさせる手つきの流れ作業の賜物なのだろう。
スカート籠の中には私も人生で初めて見るほどの量のシロツメクサが溜まっていた。
あれだけの量があれば人数分以上の花冠を作ることができるに違いない、そのようなことを思いながら私は公園の前を通り過ぎた。
シロツメクサはクローバーとも呼ばれ、様々なエピソードを持っているのだけれど、
もともと日本にあった植物ではない。
日本の植物ではないのだから海外から入ってきた植物ということになる。
面白いのは、シロツメクサは、外来種の植物たちが「植物」として日本に持ち込まれたのとは違い、「緩衝材」として日本に入ってきたということ。
江戸時代にオランダから様々なガラス製品が献上される中、そのガラス製品が破損しないように、乾燥させた状態のシロツメクサが敷き詰められていたのだという。
だから、当時のシロツメクサのは「詰め草」と呼ばれていたと言う。
この乾燥状態のシロツメクサが、何らかの経緯があって花を咲かせたのだろう、色の白い花が咲くといくことが分かり、白い詰め草、シロツメクサとなったようだ。
シロツメクサは再生力の強い植物で、踏まれようが摘み取られてしまおうが再生し続ける。
きっと、あの女の子たちが今年のシロツメクサを摘み切ったとしても、また来年、たくさんの白い花をつけるのだろう。
そして、あれだけ大量のシロツメクサを摘んだなら、あの子たちの記憶にはきっとシロツメクサが残るに違いない。
緩衝材としてではなく本来の姿として異国の人々の記憶に残ることができたのなら、シロツメクサも本望だろう。
シロツメクサを見かけた際には、チラリと思い出していただけましたら幸いです。