友人と久しぶりに食事をすることになった。
ゆっくりと食事をしながらお喋りを楽しんだ後は、
色々と買い込んで友人宅へと移動し、お喋りの続きが始まった。
どちらかと言えば聴き手に回ることが多い私は、
友人の軽快なトークを聴きながら、
私の知らない世界の話を、お驚いたり、笑ったりしながら覗かせてもらっていた。
しばらくすると、私の小さなオトモダチが帰宅した。
恥ずかしそうに挨拶をするのだけれど、挨拶を交わしてホッしたのか、
自分のお菓子と飲み物を手に「となり、すわってもいい」と尋ねてきた。
私の返事もそこそこに、あまりにも、グイグイと体を押し付けてくるものだから、
そんなにくっつくと熱いよ、と笑ってしまった。
そろそろ小さなオトモダチのエネルギー補給が完了する。
クッキーの残りを確認した私も、目の前にある大人の飲み物を飲み干して、
これから押し寄せるであろう戦いに備えた。
「柊希ちゃん、鬼ね。10数えたら探しにきて」
突然、鬼に任命されるという出来事を皮切りに、その日の私の小さな戦が始まった。
10数え終えて席を立つとリビングにある大きな観葉植物の後ろに居るオトモダチと目が合った。
ご丁寧に観葉植物の葉をユサユサと揺らしている。
この場合の正解はどちらだろうか?すぐに見つける?気付かないふりをする?
そのような事を思っていると、観葉植物の後ろからピョンと飛び出してきて、
「どうして、見つけられないの?葉っぱ、こうしてる(ユサユサしてる)でしょ」とお𠮟りを受ける。
次こそは瞬時に見つけるぞ、と思うも
今度は、ピザのようなものを目の前に3つ並べられ、「どのピザにしますか?」と尋ねられた。
ほほー、次はピザ屋さんごっこか、と思いながら
「このトマトのピザを下さい」と赤いピザを指さすと、
「ちがいます!イチゴピザです!」と、この日二度目のお叱りを受けることとなった。
ほほー、彼女には、この赤いものはイチゴのイメージなのか、と
発想の自由さに感心していると、今度は、ぬり絵を広げて色鉛筆を吟味し始めていた。
「ねぇ、ピザ屋さんごっこは終わり?」そう尋ねると、
「柊希ちゃんはピザ屋さんしたいの?
わたし、これを塗らなくちゃいけないから、今は遊んであげられないの、ごめんね。
少し、おとなしく待ってられる?」と、上から目線のお返事を頂戴することに。
「ん~、それはどうかな」と、ちょっぴり意地悪な笑みを浮かべてみるのもアリだと思ったけれど、
ここは、オトモダチの世界を尊重して「待ってるね」と返してみた。
今を全力で謳歌している最中の子どもの前で、大人が思う「当たり前」は通用しないことがある。
きっと当たり前のことなど無い、ということなのだろう。
穏やかな日常も、ちょっとピンチな日常も、当たり前ではないし、延々と続くものでもない。
だからこそ、大切にしたり、踏ん張ったりしながら、
過去でもなく未来でもなく、今を大切にしなくてはと思う。
子どもたちの“今を、瞬間を、生きる力”の強いこと。
そのような彼らを見ているとハッとさせられて見習おう、と思う。
それにしても、この日の私は小さなオトモダチから見たら、さぞかしポンコツだっただろう。
ま、大人だからといって四六時中完璧ではないのだ。
現実をお伝えするのも大人のお役目。
オトモダチもいつか、そのようなことに気付く日がくるのだろうか。
そんなことを思いながら、オトモダチの塗り絵を眺めた。