いつだっただろう。
ちょうど今ぐらいの季節に友人から1枚の写真が送られてきたことがあった。
童心に返ってお芋堀りのイベントに参加してみたのだという。
まるで大魚を釣り上げたかのようなポージングで
ジャガイモの株を嬉しそうに持ち上げている友人に笑みがこぼれた。
足元に付いていた沢山の泥は彼女の満喫度を表しているようでもあった。
何となく、ジャガイモをしっかりと見て私は、
スマートフォン上の写真に触れ、指先ですーっと伸ばすようにして拡大した。
採れたてのジャガイモで作るじゃがバターは美味しいだろうな、
少しだけ厚切りにして揚げるチップスは、お酒がすすむだろうな、
そのようなことを想像して楽しんだ。
画面を閉じようとしたとき、何やらプチトマトのようなものが目についた。
ジャガイモだけではなくプチトマトも収穫したのか。
それをそのまま友人に伝えると、
ジャガイモには、プチトマトのような実が付くことがあるのだと教えてくれた。
実際には、このような実が付く。
私自身、調べてみたのだけれど、
ジャガイモには実が付く品種と付かない品種があるのだそう。
実は食べることが出来ると言う方もいらっしゃるけれど、
ジャガイモの実には毒があり食べることが出来ないという記述が圧倒的に多いため、
私のような素人は口にできないものとして認識していた方がよさそうだ。
そして、私たちが普段口にしているジャガイモ、
あの姿形からつい「実」だと思いたくなるけれど、実は地下にある茎なのだとか。
ジャガイモを栽培したことがある方にとっては、
驚くようなことではないのかもしれないのだけれど、
ジャガイモ栽培未経験者の私は、とても、とても、感動したのだ。
長年大人をやってきて、ある程度のことは知っている。
と無意識に思っているところがあるけれど、
日常は、そのような私の無意識をいとも簡単に覆してくる。
人はいつだって、何だって、色々な視点からモノゴトを楽しむことができるのだと、
私のありふれた日常が小さな希望の種をそっと手渡しにくるのだ。
ありふれた日常も捨てたものじゃない。
土がついたままのジャガイモを手に入れたものだから、
キッチンでひとり、そのようなことを思いながら夕飯の支度を始めた。