2
ホームパーティーの準備のお手伝いをしていた時のこと。
そのお宅のお嬢さんが、このようなことを尋ねてきたのです。
日本でホームパーティーに招かれたら何てご挨拶してお家に入るの?
お部屋に入るときは、どのようなご挨拶をするの?と。
そのイギリス人のお嬢さんは当時16歳で日本贔屓。
将来は日本に住んで日本のことを色々と知りたいという夢を持っておりました。
だから、いつ日本に行っても困らないように、
出来るだけ様々なことを知っておきたいのだと言って、
私と顔を合わせる度に質問を次から次に投げかけてきていたのです。
その数々の質問の中にあった冒頭のそれ。
シチュエーションによっても様々ではありますが、万能なご挨拶として、
私は「お邪魔します」と「お邪魔しました」をセットで教えることにしました。
しかし、彼女は、そのご挨拶は変じゃないかしら?と言うのです。
お家へ招いてくれたのだから「招いてくれて、ありがとう」と言えばいいんじゃないの?と。
もちろん、お招きいただいたことに対する感謝の気持ちを伝えることもあるし、
どんどん伝えて良いと思うけれど、
そのような時でも「お邪魔します」と「お邪魔しました」はセットにするのだというと、
「ありがとう」じゃなくて「ごめんなさい」と言って入るの?とブツブツ言いながら
とても不思議そうに小首を傾げた姿が印象的でした。
「お邪魔します」という言葉は、
日本人が自分を邪魔者に例えることで相手を敬うスタイルの言葉。
「邪魔」の元々の意味は、仏教用語が由来なのだけれど、時代を経る中で二転三転し、
「お宅に入ってご迷惑やお手数をおかけしてしまうけれど、許してくださいね」
という意味が込められるようなになったものです。
私たちにとっては物心ついた時から慣れ親しんでいる挨拶のひとつだけれど、
外国語にはこのようなニュアンスを含む挨拶は無いため、
外国人にとっては、歯切れが悪い表現だと感じるようなのです。
この手の感性に関する説明はことあるごとにさせられるのですが、
腑に落ちたという顔を見たことがないように思います。
だからこそ、日本語は魅力的なのだと再確認させられもするのですけれど。
彼女が言うように「ごめんなさい」と言いながら入るよりも
「ありがとう」と言って入る方が、気持ちが良いということも一理あると感じます。
だけれども、それは言葉の表側の表情。
日本語は言葉の奥に様々な思いやりが含まれている素敵な言葉だと、
折りに触れて、私は思うのです。
日本人ゆえの日本語贔屓は否めないけれど、
このような言葉は、そう簡単に作り上げられるものではないし、
使いこなせるものでもないと思っております。
今日は普段使っている言葉を、ほんの少し丁寧に、心を込めて発してみてはいかがでしょう。
「ありがとう」や「いってきます」、「おかえりなさい」や「いただきます」。
言葉たちが、いつもの空間をぽわっと素敵に染めてくれるかもしれません。