私の横を幼稚園児送迎専用のかわいい猫バスが通り過ぎて行った。
ジブリ作品を観たことがある園児は、
最初にあのバスを見た時にどのようなことを思ったのだろうか。
今さらなのだけれど、
一生に一度くらい幼稚園児というものを体験してもよかったのかもしれない、
そのようなことを思った。
当時、私の母は、我が子が幼稚園児の仲間入りをすることを疑うことなく、
入園手続きの書類を記入していたのだそう。
そして、その書類を横から覗き込んでくる私に、
あなたも毎朝、お家の前を通るバスに乗って幼稚園に行くのよと伝えた。
すると、それは絶対に行かなくちゃいけないの?と素朴な疑問を投げかけられたと言う。
行きたくないの?と尋ね返すと、
子どもの私は、朝早く起きるのは嫌だから、できれば行きたくないと答えたのだそう。
それから、幼稚園は楽しい所だと話して聞かせたそうなのだけれども、
私が全く興味を示さないものだから、母は父に、一部始終を話したのだという。
父は、義務教育ではないのだから母が昼間に大変な思いをしないのであれば、
無理に通わせなくてもいいのではないだろうかと言い、
最終決断は本人の意思に任せようと言うことになったそうだ。
母は改めて幼稚園がどのようなところなのかを私に話した上で、
どうしたいのかを尋ねたところ、
私の意思は揺るがず、幼稚園へは行かないことになった。
母は、周りの子どもたちと足並みを揃えないことに若干の不安を感じたのかもしれない。
後から行きたいと言っても行けないのだと
誘導にも近いような事も言ったそうなのだけれども、
私の答えが変わることは無かったという。
時々、友人や知人がこのような事を漏らすことがある。
子どもが幼稚園で○○ができなくて焦っている、という類の話。
その度に、私がその子と同じくらいの時には家で好き勝手に過ごしていたから、
当時の私はもっと出来なかったのだろうけれど、不自由なく大人をしているよと。
本人が楽しくトライしているのであれば問題ないのでは?とも。
すると、幼稚園へ行っていない人というのが珍しいのか、
あれやこれやと質問攻めが先行してしまうこともあるのだけれど、
最後は、焦っているのは親のエゴなのかも、という声を耳にする。
親には親の目線があり、想いがあり、溢れんばかりの愛情がある。
だからこその、心配や不安、そこに期待も含まれるのかもしれない。
だけれども、子どもは大人が思うよりもずっと、
逞しいところだって秘めているものだ、とも思うのだ。
そのような、様々なことを思い出していると、先程通り過ぎた猫バスが停車していた。
遠足の帰りだったのだろうか。
バスの中からは、体より大きな芋茎の葉っぱを傘に見立てた子どもたちが次々に降りてきて、
絵本の中の風景が目の前に表れたようだった。
それにしても、当時の両親は今の私よりも若かったけれど、
よく最終決断を子どもに任せたものだと思いながら、私は猫バスを追い越した。
子どもも大人も家族のカタチも十人十色。