ある日、数人で話をしていると、
話題は、SNSとの距離感、付き合い方といった内容に至っていた。
何かしらのSNSに登録し、利用する。
そうすることで誰でも簡単に社会的な繋がりを作り出すことができ、
欲しい情報を、いつでも、どこでも、好きなだけ入手したり、交換することができる。
それは、時代が違えば、ドラえもんのポケットの中から出てきそうな、
とても便利で、多種多様な可能性が秘められている魅力的なサービスだ。
いつの間にかプライベートの範疇を越え、仕事に利用したり、仕事にも絡むことがあり、
現代人の生活の一部になっていると言っても過言ではない。
SNSや、それに関わる自分のことを上手に扱うことができたり、
真実を見極められているうちは良いのだろうけれど、
自分が身を置いている環境や、心身のコンディションによっては
目に入ってくるもの全てが真実ではないと頭では分かっていても、
真実の見極めが曖昧になり、人は目に入る全てを真実だと思い込むこともある。
そして時に、発信する側も受信する側も、
良くも悪くも目にしたものから心が刺激を受けることがるのではないかと思う。
確か4~5年ほど前だったと思うのだけれども、
ソーシャルデトックスという言葉を頻繁に見聞きすることがあった。
この言葉の登場は、様々なSNSが定着したことで生まれたコミュニケーションや、
リアクションの有無に一喜一憂する心、
そのリアクションを求めたり、送ることに忙しくしたり、
そこでのリアクションが様々な場面で判断基準とされるなど、
SNSに絡むアクションに疲れを感じる人々が増えたサインのようにも見えた。
そのような事を振り返っていると、
あるひとりが、最近、遅ればせながら初めてソーシャルデトックスをしたのだと話し始めた。
意識して4日間のソーシャルデトックスにトライした結果、
想像していた以上に自由な時間が増えたのだそう。
更に、人の動向に影響をうけなくなったことで
自分本来の気持ちや大切だと思っていることを再確認することができ、
不要な情報に踊らされることも減り、目には見えない断捨離ができという。
と同時に、SNSや通信機器が持っている便利さや有難さも再確認でき、
様々な視点で自由や有難さを味わうことが出来たのだそう。
私にとっての七つ道具には通信機器が含まれているため、
それらの類も漏れなく私について回る。
便利である一方で、やはり自由を奪われているような気になることも多いため、
私も知人のように意識してソーシャルデトックス、通信機器デトックスを行うことがある。
始めた当初は、何だかソワソワと落ち着かないこともあったけれど、
慣れてしまえば、真の意味での自分の時間を過ごすことができ、
自分の様々な感度も上がるため、今ではソーシャルデトックスは欠かせない時間になっている。
知人が言っていた「目には見えない断捨離」を私も感じているのかもしれない。
常に忙しく感じている、気忙しい気がしている、という方は、
1日だけ、2日間だけ、半日だけ、夜だけは……という具合いに、
自分にとって無理がなく日常に支障がないタイミングを選んで
ソーシャルデトックスにトライしてみてはいかがでしょうか。
自分の中に埋もれてしまっていた「何か」に気付いたり、
心身を深く休ませることができたりと、何かしらの「イイこと」が待っているかもしれません。