自宅から少し離れた所に、時々、足を運ぶパン屋がある。
入り口の重いドア-を引き開けると、美味しそうなパンの香りと、
真っ直ぐな眼差しでパンを選んでいる先客たちの空気が出迎えてくれる。
シンプルな食パンやバゲットを筆頭に各種フランスパン、
季節のお野菜やお肉を使ったお惣菜パン、
甘い香りがたまらないデザートパンなど、魅力的なパンが所狭しと並べられている。
よほどのパン嫌いでない限り、テンションが上がる空間なのではないだろうかと思う。
逸る気持ちを抑えつつ、トレーとトングを手に端のパンから向き合っていく。
いくつかのパンをトレーに乗せ、デザートゾーンに入ると
優しい卵色に薄っすらと焦げ目がついたフレンチトーストが目に入った。
自宅でも簡単に作れはするのだけれど、
自分以外の誰かが作ってくれるものというのは、
時に、それだけでスペシャルに感じることがある。
その日の私にとって、フレンチトーストがそうだった。
少々調子に乗りすぎたかしら……、と思う程のパンを手に、
私は、すっかりと高くなった空を眺めながら帰路についた。
私たちがフレンチトーストと呼んでいるものが、
フランス発祥のものではないのだと知った時には軽く驚いたけれど、
祖母ほどの年の差があるフランス人の知人にフレンチトーストが好きだと言ったら、
渋~い顔で、「それは、あまり外で言わない方がいいわ」と言われた時の
不思議な気持ちの方が今でも記憶に残っている。
日本のフレンチトーストといえば、
自宅で簡単に作ることもできるし、プロが作るフレンチトーストも味わい深くて人気だ。
そこにマイナスなイメージは一切ないのだけれど
フランスでは、特にご年配の方と言った方がいいだろうか、
フレンチトーストに対して、あまり良い印象を持っていない方が多いように思う。
というのも、フレンチトーストはフランスではパン・ペルデュと呼ばれており、
この名には、「硬くなって食べられなくなったパン」という意味がある。
この食べられなくなったパンをリメイクしたものがフレンチトーストというわけだ。
ご年配の知人の前で私が発した「フレンチトーストが好き」というのは、
「残り物が好き」という意味にも取れるそうで、
レディーがそのようなことを言ってはいけない、と当時の私は窘められたのだ。
今は魅力的な一品として材料にも拘ったフレンチトーストを目にすることもあるけれど、
果たして、「残り物」「リメイクメニュー」のイメージをどれくらい覆すことができているのか。
今の私の素朴な疑問のひとつ、であったりもする。
一度知ってしまったら、知らなかったときには戻れない。
私は、フレンチトーストを食べるとき、このフレンチトーストが好きだと発するとき、
ほんの少しだけ罪悪感にも似た気持ちを抱くことがある。
その度に、「お作法に厳しかった知人の呪縛が今の尚」、と愛情を込めて思うことにしている。
自宅で作るときには牛乳の代わりに生クリームを使い、
運よく自宅にあればラム酒とバニラエッセンスを少々加えるレシピがお気に入りだ。
カットしたイチゴをトッピングし、粉砂糖でお化粧を施せば、もう残り物だなんて言わせない。
世にあるフレンチトーストよ、胸張っていこ。
そのような事を思いつつ、パン屋のフレンチトーストを堪能した。