食パンを厚めにスライスし、オーブントースターにセットした。
トーストの好みやこだわりは、卵かけごはんのそれにも通じるものがあり、
厚みや焼き加減、何を塗るか、乗せるか、合わせるか、
その好みや仕上がりは無限にあるように思う。
私はパンを厚めにスライスし、表面はカリッと焼き上げ、
中はしっとり、ふわっとしつつ、もっちりと感じられれば最高だと思っている。
夏のけだるさも、いつの間にか姿を消しているキッチンに広がる香ばしいパンの香り。
その香りに合う濃い目のミルクティーでも淹れようかと、
珍しく牛乳を入れたミルクパンを火にかけた。
夏の間は、出来るだけ火の前に立たなくて済むようなことを選びがちで、
じっくりとミルクを温めようという気すら起こらなかったというのに。
人も地球の一部だと、いつもの思考癖が始まりそうなタイミングで、
オーブントースターから焼き上がりの合図が聞こえた。
その日はシンプルにバターで、と思っていたのだけれど、
少し前に取り寄せてあったハチミツを味わいたくて、
バターとハチミツで甘い朝を過ごすことにした。
しっかりとした甘さは、ぼんやりとしている頭にダイレクトに伝わり、
みるみる頭が目覚めていく感覚が心地よい。
目覚めついでに思い出したのは、ある日の知人との会話だった。
最近人気だというカフェでサンドウィッチか何かを味わっていたときのこと、
トレーに敷いてあったペーパーに、食パンが食パンと呼ばれるようになった経緯が、
素敵なイラストと共にいくつか紹介されていた。
各々、何となく目を通していたのだけれど、
その諸説を通して、腑に落ちるポイントや感じ方も人ぞれぞれなのだと感じた。
全てを記憶しているわけではないのだけれど、
知人が、なるほどと頷いていたのは「主食パン」が略されて「食パン」と呼ばれるようになった説。
日本に早くから伝わっていたパンだけれど、
「パン」という名で先に広まっていたのは、今でいう菓子パンだったことから、
現在の食パンを主食パンと名付け、「食パン」と略されるようになったというもの。
一方、私が、なるほどと頷いたのは、知人が、これだけは無いと思うと言い切った
消しゴムの代わりに使われていた「消しパン」と
食べるパンを区別するために名付けられた食パン説。
当時はまだ消しゴムが生まれる前の時代で、
パンの白い部分を練り消しゴムのようにして使っていたのだそう。
美術のデッサンなどに触れたことがある方は、
食パンを消しゴムの代わりにした経験もあるのではないでしょうか。
私は子どもの頃、当時、美大生だった叔父が自宅に持ち込んだ石膏像を
一緒にデッサンして遊ぶ中で食パンの白い部分を消しゴムにしていたため、
すんなりと腑に落ちたのだろう。
他にも様々な説があるのだけれど、所変われば、立場変われば、環境変われば、
由来が1つではないことも、それほど不思議なことではなく、
「そう言われてみれば、そう思う」というようなものばかり。
ただ、そう思えるかどうかは、
そこに至るまでの自分の経験や環境によっても左右されるもののように思う。
そして、自分と異なる感性に出会う瞬間は、
自分をもう一歩深く知ることが出来る瞬間でもある。
甘い朝を過ごすつもりが、この思考回路のおかげで、
いまひとつ甘くなりきれない朝になってしまったけれど、
丁寧に淹れたミルクティーは、カラダに染み渡っていいなと思った、ある日の朝。