至る所でワークショップが開かれている。
その内容は、幅広いジャンル、カテゴリーのもので、
興味と一歩を踏み出す為の、ちょっとした勇気さえ持てたなら、
誰でも、知りたいことを知りたいだけ知ることができる環境が、私たちのすぐそばには在る。
先日通りかかった場所では「消しゴム判子」のワークショップが開かれていた。
平日の昼間だったからだろう。
女性ばかりだったけれど、皆さん真剣に楽しんでいらっしゃって、
何となく、その場の輝きが増しているような印象を受けた。
これを「ブーム」とひと言で表現をしても良いものか、戸惑いもあるのだけれど、
近年、消しゴム判子を生業にしている方を多く目にするようになった気がしている。
私も偶然、自分好みの消しゴム判子作品を作る方に辿り着いた。
いつか、その方にデザインを依頼してみようかと思っているのだけれど、
カタチにしたい思いがまとまりきらずにいる今は、
少し離れたところから作家の作品を鑑賞するに留まっている。
このようなことがきっかけとなり、
いつの間にか、消しゴム判子の話題を自然とキャッチするようになった頃だ。
消しゴム判子でお釈迦様を彫りながら、お坊さんの話を聴くワークショップが開かれていることを知った。
写経に夢中になる方々が話題になったことがあったけれど、
今度は、お釈迦様を消しゴム判子にするのかと、その世界を少しだけ覘いてみた。
すると、このワークショップを手がけているのは、
消しゴム判子づくりが趣味だったというお坊さんの麻田弘潤さんと、
消しゴム判子作家の津久井智子さんのコンビだということが分かった。
2人は、「諸行無常ズ」というコンビ名で活躍されている。
そのコンビ名に惹かれた私は、もう少しだけ諸行無常ズのことを知りたいと思った。
お二人は、東日本大震災後の被災地でボランティアとして活動していた中知り合ったのだそう。
お坊さんは、ボランティア活動の合間に、趣味である消しゴム判子をつくり、
被災者の方々に喜ばれていたという。
消しゴム判子を彫る手元に夢中になっていると、
向かい側に座った女性が、津波から逃げてきた話をポツリ、ポツリと話し始めたことをきっかけに、
お坊さんとして聴こうと思っていたら聴けなかったであろう人の心の中にある思いを
消しゴム判子を介することで、緊張せずに話し、聴くことができるのかもしれないと感じ、
法話と消しゴム判子を組み合わせたワークショップができないか、
消しゴム判子作家の津久井さんに提案したのだそう。
お寺と聞くと、お行儀よくしなくてはいけない、粗相があってはいけないといった、
少し堅苦しい印象を抱いてしまうことがあるけれど、
その昔、お寺は人々の交流場所のひとつであったと言われている。
お寺で様々なワークショップが開かれたり、音楽の祭典が行われたりすることが増えてきた昨今、
様々な出来事を経て、お寺が本来の姿を取り戻しつつあるのだろうか、そのようにも思った。
もちろん、いつ何時でも、そこに在り続けることで成せることのために経営し続けていくという
現代ならではの課題も絡んではいるのだろうけれど。
いつだって「きっかけ」は、本当に些細なことなのだと思う。
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