本日11月5日は津波防災の日なのですが、
こちらは創設されてからまだ日が浅い、津波防災への意識を高めるための日です。
本日は、この津波防災の日が創設された理由や、
この日が選ばれた理由などを知ることで津波防災への意識を高めてみませんか。
創設のきっかけは、2011年3月に発生した東日本大震災です。
このとき、甚大な津波被害が発生したことから、
同年の6月に、津波被害から国民の生命、身体、財産を保護することを目的とした法律が作られました。
そして、この法律によって毎年11月5日を『津波防災の日』とすることになりました。
なぜ、11月5日が津波防災の日に選ばれたのか。
これは、1854年11月5日に起きた南海トラフ連動地震の安政南海地震の出来事が由来です。
この時の出来事は、『稲むらの火』というタイトルの民話として語り継がれています。
せっかくですので、民話も覗いておきましょう。
1854年11月5日、この安政南海地震によって発生した大津波が、
和歌山県のとある村(現・和歌山県広川町)に押し寄せてきておりました。
しかし、この日、この村では、お祭りが行われている最中で誰も地震や津波に気が付きません。
そのような中、「長い地震の後には津波が来る」と
村の長老から聞いたことを思い出した一人の青年がおりました。
彼はすぐに海を見ました。
すると、海水が勢いよく沖の方へと引き始めていることに気が付きます。
これは一大事だと、急いで松明に火をつけ、
村民に知らせようとお祭りが行われている神社へと走ります。
しかし途中で、津波よりも早く村民たちに津波の危険を知らせることは不可能だと思ったのです。
そこで、彼は稲刈りを済ませた後の自分の田んぼに置いていた稲むらに松明で火を放ち、
稲むらを燃え上がらせます。
お祭りを楽しんでいた村人たちも火に気が付き、火事だと思った村人が消火に駆けつけます。
彼は駆けつけてくれた村人たちに津波のことを知らせ、山へ逃げるよう指示します。
皆、必死で山を駆け登り、彼も一番最後に山を登りきります。
彼が山を登りきるや否や、大きな津波が一瞬にして村を飲み込みます。
彼の機転のおかげで、幸いにも村人で亡くなった方はいなかったといいます。
村人たちは、目の前の惨状を眺めながら青年に感謝しました。
その後、彼は村人たちと高くて長い堤防を築きました。
これが『稲むらの火』です。
そして、このお話は、庄屋・浜口梧陵さんの行動をもとに書かれたもので、
学校やその他、様々な場所で触れられています。
防災の日と言われても何をどうしたらいいのか分からない、思い浮かばない。
そのようなこともあるかと思います。
目の前にある今の暮らしをを大切にしながら、感謝しながら、
このようなお話に触れることも防災の日に私たちができることのひとつのように思います。
今日も皆さんの日常が温かいものでありますように☆彡
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