先日、郵便局へ行ったときのこと。
私の前には封筒を手にした小学生の女の子が2人並んでいた。
私は順番を待ちながら郵便局が扱っている商品に目を泳がせていた。
すると、「最近肩がこってパンパン」「あー、私も」そんな会話が耳に届き、
私は一瞬、んっ?と、思考が停止したような感覚に陥った。
彼女たちの口調と言えばいいのだろうか、声のトーン……、
しっくりくる言葉が見つからないのだけれど、
この子たち、“肩こり”を知っているな!そう思わせるような空気をまとっており、
ませているのとは少し異なる、貫禄と説得力を感じるような会話に少し驚いた。
少し前だっただろうか、テレビで小学生たちの腰痛やぎっくり腰の問題を耳にしたときも、
私の情報受信機能が驚きを超えてパンクしてしまったのだろう。
真剣に悩まれている方々に対して、非常に不謹慎だと思いつつも、
ケラケラとテレビの前で笑ってしまった。
そして、小学生たちの腰痛問題に対して、持ち帰る教科書を減らすべきだと
真剣に語り合う大人たちの姿がこれまた私の目にはとてもシュールな光景に移り、
時代というものは、こうして移り行くのか、と思った。
ちなみに、この小学生の腰痛問題、ぎっくり腰問題というのは、
低学年(1、2年生辺り)の子どもたちに多く見られる現象のようで、
体よりも大きなランドセルに教科書など詰め込み、
両手には、たくさんの荷物を抱えて登下校することが彼らの腰に負担をかけ、
腰痛やぎっくり腰を招いているのだそう。
これは、低学年の子どもたちの体力や筋肉が発達途中であることや、
現代の子どもたちの運動不足による体力や筋力の衰えなどが関係しているようだった。
その時代ならではの問題というものは、どの時代にも存在するものだから
軽んじてはいけないし、真剣に考えるべきひとつの案件ではあるのだけれど、いや、それにしても。
と思ったことを目の前にいた彼女たちの会話から思い出すと同時に、
「そういう時代なんです!」と得体の知れない何かから言われたような気がした。
この驚きは、私が、その辺りをそれなりに越えてきた世代だからなのだろう。
時代や常識が変われば問題もそれに応じて変わっていくのは自然なこと。
それをジャッジしていくのではなく、感じて関わって、時に疑似体験することも、また一興ということだろうか。
ひとつの時代に、様々な時代が共存している様は、
大きなお鍋で作る具沢山のスープのようにも見える。
最後の味付けは各自でどうぞ。付け合わせやトッピングもご自由に。といったところだろうか。
時代よ、美味しくなあれ。
それにしても、あの子が言った「最近肩がこってパンパン」というセリフ、リアルだったな。
そのようなことを思いながら郵便局を後にした。