「最近は、何でもネットでって言われて困るわね」
そう話していたのは、郵便局の順番待ちで私の前にいらしたご年配女性である。
郵便局の新商品なのか、新サービスなのかは分からなかったけれど、局員の方に紹介された何かに対してのリアクションだったように思う。
インターネットの環境さえ整っていれば、ある程度のことは何でも調べることができ、用事なども済ませることができるので、現代社会に欠かせないツールのひとつである。
生まれた時からこのような環境に身を置いて過ごしていれば、年を重ねてもインターネットを難しいツールだとは感じないのだろうけれど、
不便が当たり前という時代を生きてきた方々が、目まぐるしく進化していくインターネット社会のシステムを扱い難いものとして感じることも分かるように思う。
いつだったか、観光で立ち寄ったお寺の方のお話の中に、最近の若い方は何でも気軽に質問してくる傾向にあるというものがあった。
これは、分からないからといって気軽に質問してはいけないという意味でおっしゃったのではなく、質問の中身の話であった。
社会科見学か何かでお寺に来た学生さんたちに「最後になりますけれど、何か質問はありませんか」と投げかけたところ「生きる意味を教えてください」と返ってきたのだそう。
しかも、1度や2度ではないことから、今はそのような時代なのだと感じられたのだとか。
世の中には時間をかけて答えに辿りつくことができるようなものが多々あるけれど、インターネットで調べればすぐに答えが分かることが当たり前の世の中で育ってきた子どもたちは、
調べればすぐに答えが分かる、誰かに聞けばすぐに答えが返ってくると無意識のうちに学習してしまっているというのだ。
だから、お寺の方が「生きる意味は〇〇です」とシンプルに答えると、どうしてそのような答えになるのかという思考部分をスパッと端折り「分かりました」と答えのみを受け取るのだそう。
そして、後日いただくお礼状には「生きる意味が○○だと分かって良かったです」といった文章も多く見られるという。
もちろん、そのような思考やインターネットの便利さがダメだとおっしゃっているのではないけれど、考えることや不便さや様々な余白といった、人生の中にある待ち時間のようなものの必要性や重要性を考えさせられる話題だったように思う。
私も、すぐにインターネットに頼る生活にどっぷり浸かっているので、「考えること」を放棄しない日々を送りたいと思う。
そして、何事もバランスなので、時々はデジタルデトックスデーを設けて、自然の風を浴びるような時間をとも。
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/