どこからか「蛍の光」が聞こえてきた。
卒業式や、お店の閉店時間を知らせるとき、
これからであれば、NHKの紅白歌合戦をご覧になる方は、そのエンディングでも耳にするであろう、あのお馴染みの曲だ。
日本人が「蛍の光」を耳にするとき、
胸の奥をキュッと掴まれるような切なさを感じる方も少なくないのではないだろうか。
それもそのはず、様々な節目でこの曲に触れてきた回数が多い人ほど、
本人が忘れてしまっていても体にはその時の感情の記憶が刻み込まれており、
曲が流れると同時に、その旋律とセットになっている感情がふっと蘇ることがある。
日本では、この曲が使われるシチュエーションから別れや終了を連想することが多く、
何となく情緒的になってしまうのだけれど、
ヨーロッパの方から見ると、この光景はとても異様なのだそう。
もともと「蛍の光」は、スコットランド民謡なのだけれど、
別れや終了を歌っているものではなく、
旧友と一緒にお酒を飲みながら、昔話に花を咲かせて懐かしむことを歌っており、
お誕生日や結婚式といったおめでたい席で歌われる曲なのだ。
日本同様に、別れの時に歌われることもあるそうなのだけれども、
おめでたい席で歌われることの方が断然多いという。
だから、日本人がこのメロディーを聴きながらしんみりとしたり、
涙を流す姿は理解し難いのだそう。
私はスコットランドで年を越したことがあるのだけれど、
あんなにも陽気な蛍の光を経験したのは初めてのことだった。
アコーディオンの優しくも力強い音色で奏でられるリズミカルな蛍の光に乗り
見知らぬ人同士、老若男女問わず手を繋いで輪になって踊り、
隅っこでじっとしているような人がいれば誰かしらが手を差し出し、
みんなの輪の中へ連れ出すのだ。
ひたすら踊る光景はセンチメンタルとは無縁のもで、
日本人目線で言うならば、「蛍の光で踊るあなたたちの姿、私も理解し難いわ。」と内心思っていた。
もちろん、あちら様が本家本元なのだけれど。
スコットランド民謡である蛍の光はアメリカを経由して日本に伝わり、
日本語の歌詞が付けられたもので、
その歌詞の内容と「蛍の光」が使われてきたシチュエーションによって
私たちの胸は、ほんの少し締め付けられるけれど、
多分、私たちも本家本元と同じように昔を懐かしんでいたりもするのだ。
その感じ方、切り取り方、味わい方が日本人的というだけで、そう思ったりもする。
そう言えば、その年越しの場でスコットランドの国花は、
淡い紫色をしたブルーベルという花だと知った。
その名がとても素敵だったため記憶に残っていたのだけれど、
日本では釣鐘草(つりがねそう)の名で親しまれている。
スコットランドでは年々、野生のブルーベルが減っているそうで、
見つけられたらイイコトがあるかもしれない、と言う人もいるのだとか。
どこからか流れてきた「蛍の光」を耳にしたその日の私は、
蛍の光のメロディーをきっかけに、スコットランドへココロ旅。
旅の仕方もイロイロだ。
蛍の光に触れる機会がありましたら、
地球上にある別の地では、このメロディーに乗せて陽気に踊っている。
そのようなことを少し、思い出していただけましたら幸いです。
画像出典:https://jp.pinterest.com/