「だらし無い座り方しないで」そう声がした方へ視線を流すと、
母親が、やんちゃ盛りという年頃に見える子ども達にそう言いながら、
椅子に深く腰掛けるよう促しているところだった。
振る舞い方や身だしなみに関することなど、幅広いシーンで使われる「だらし無い」という言葉。
そもそも「だらし」って何だったかしら?
過去にも同じことを思い、調べたことがある。
私自身によくあることなのだけれども、何ぞや?と思い調べたものに
「へぇ~」と感心したところで満足し、きれいさっぱり忘れてしまうのだ。
しばらくの間、「だらし」という言葉を脳内でループさせていたのだけれど、
思い出すことが出来ぬまま、乗っていた電車は4つか5つほど先の駅に停車した。
どうやら、「だらし」もそのひとつのようだ。
思い出せないことにヤキモキしながら先ほどの親子へ視線を向けてみると、
3人ともお疲れのご様子で、思い思いの体勢で目を閉じていた。
数日経ち、再び同じ言葉を似たようなシチュエーションで耳にする機会があった。
あまりにも似通ったシチュエーションだったため、調べることを促されたような気になってしまい、
手元にある色々を引っ張り出して調べ直してみることにした。
そうそう、そうだ。
私たちが使っている「だらし無い」という言葉の「だらし」とは、
もともとは、和楽器を使った演奏に合わせられた手拍子を指す言葉で、
正しくは「しだら」という言葉だったのだ。
この手拍子のタイミングが狂うと演者もつられて調子が狂ってしまうことがあり、
のの調子が狂ってしまう様子のことを「しだらが無い」と表現していたという。
きちんとしていない様子を言う「だらしが無い」は、この「しだら無い」が語源だという説がある。
では、どうして「しだら無い」と使われていたものが「だらし無い」となったのか。
これは、特別な意味や背景はなく、言葉を並べ替えて読む言葉遊びによって
「しだら無い」が「だらし無い」と読まれるようになったと言う。
このような言葉遊びによって、半ば冗談交じりに口にされていた言葉が、
今となっては正し言葉として扱われている日本語は他にもたくさんある。
よく例として取り上げられるものをひとつ紹介すると、「新しい」という言葉。
私たちは、これを「あたらしい」と習い、そう読んでいる一方で「新た」を「あらた」と読むこともある。
これも、もともとは「あらたしい」と読まれていたそうなのだけれども、
いつの間にか、「あたらしい」になったという。
このように言葉の背景を覘くとき、
日本人は言葉で遊ぶことが日常茶飯事だったのだろうと感じる機会がとても多い。
日本人にとっての日本語は、まるでブラジルの人たちにとってのサッカーボールのようだと思うことさえある。
私たちの生活をざっと見まわしてみても、日本語の中に紛れている和製英語の多いこと。
その出来もなかなかで、英語やフランス語、ドイツ語など他国の空気を上手く纏わせており、
初めから、そのような単語があるんでしょ?と無意識のうちに思い込んでしまっているものも少なくない。
世の中の空気と、その場の空気、
更には、言葉の使いどころなどを抑えておく必要はあるけれど、
あっぱれ日本人!そう思ったりもする。
暮らしの中に添えられた遊び心や楽しむ気持ちは時代を越えるのでしょうね。
今日も、あなたの日常に、ほんの少しの遊び心を。