久しぶりに友人とランチをしたときのこと。
友人が「初めて聞いた時は、え?何?って思ったけど慣れるもんだよね。
“エフォートレス”よりも“こなれ感”の方が分かりやすいけどさ。」とこぼした。
刻んだ青じそが混ぜ込まれたおろしポン酢を店主ご自慢のハンバーグに乗せ、
それを口元に運びながら、心の中で「(あぁ、確かに)」と大きく頷き賛同した。
そして、口の中に広がるお肉とおろしポン酢のハーモニーに、
「(やっぱり、このハンバーグは美味しい)」と思うや否や、
「声、でてないよ」と指摘され我に返った。
日本ではファッションやメイク、ヘアスタイルなどファッション用語として使われることが多く、
冒頭の会話にもあったように“こなれ感”や“抜け感”などと訳されている。
「努力」や「奮闘」などを意味するエフォートという単語に、
「~の無い」という意味のレスをくっつけて出来たエフォートレスという慣用句。
おおもとの意味は、努力や奮闘を必要としない、苦労のない、肩ひじを張らない、
楽な、無理の無い、といったもの。
ファッションやメイク、ヘアスタイルでこの匙加減を間違えれば、
だらしない印象ややつれた印象を与えることもあり、
言葉通り努力や奮闘が全く無いかと問われれば、そうとも言い切れない。
そう思うと、“こなれ感”や“抜け感”といった意訳は程よい言葉の匙加減、のように思う。
最近では、ファッション以外のジャンルでも使われ始めているため、
少し意識をして辺りを見回してみると意外な所で目にすることも増えた言葉だ。
海外でもファッション用語として使われてはいるけれど、
私の印象としては、日々の暮らしや、人との関わり方、自分自身との関わり方や在り方など
ライフスタイルに対して使われることが多いように感じている。
人は、ファッションやメイク、ヘアスタイルだけに止まらず、
自分自身や自分の日々をエフォートレスにすることを求め始めているのかもしれない。
ひと昔前の言葉を借りるならば「ありままの自分」で肩ひじ張らずに自然体で過ごすこと、
とも言い換えられるだろうか。
ただ、言葉そのものを体現することが目的になってしまうと、方向性がずれることもあるだろうし、
体現しようとするあまり違う無理が生じ、
良い意味での「ありのままの自分」を見失うことも珍しくない。
エフォートレスを目指す前には、
不完全さがあるからこそ自分の魅力が魅力として認識できるということ、
無くしてしまいたい不完全さも魅力のひとつだということを認めることも必要なことなのかもしれない。