『今日は○○の日』というものがある。
意味深い日や感慨深い日もあるけれど、語呂合わせや遊び心で決められた日、大人の思惑が見え隠れする日など様々だ。
しかも、この『〇〇の日』は年々増えているような気がしており、つい、また語呂合わせか何かで定められた日?と、少々意地悪な見方をしてしまうこともある。
先日、冷凍いんげんを調理に使った際に、3月4日はいんげん豆の日だと知った。
豆の日は何気に多いものだから、このときも意地悪な推測が脳裏に浮かんだのだけれど、この日は、いんげん豆を日本に伝えてくれた方が亡くなった日だと言うではないか。
それならば、ちょっと覗いてみるかと由来なんぞ覗いてみたのだけれど、そこにあった方の名が、既に幸せのレシピ集内に登場したことがある人物だったのである。
その人物とは、江戸時代に偶然生まれた「ところてん」の乾物を気に入り、精進料理の食材としても使うことが出来ることを広め、寒天の名付け親でもある禅宗の僧・隠元(いんげん)禅師である。
この名を見て、もしや?と思われた方、ご名答。
いんげん豆の名は、この豆を日本に持ち込んだ隠元(いんげん)さんから名付けられている。
今回は、もう少しだけ隠元(いんげん)さんのお話をと思っております。
あちらの話題にも、こちらの話題にもと至る所に登場する彼は、まるで異なる複数のドラマに同一人物として登場している役者さんのようなもの。
よろしければ、これからもどこかしらで登場するであろう彼のことをチラリとのぞいていってくださいませ。
当時は中国から多くの僧侶たちが日本に来ていたのですが、隠元さんは日本に到着する前に亡くなってしまった僧侶の代打として声がかかった僧侶だったのだそう。
約束では日本には3年間ほどの滞在予定だったと言うので、僧侶というお仕事で海外転勤を命じられたような状況だったのでしょう。
しかし、約束の3年が経過したときに、隠元(いんげん)さんを引き止めたい日本の僧侶たちの働きによって彼は当時の将軍に会い、大きな土地をいただき、日本に永住したといいます。
この時にいただいた土地が京都だと言うので、この地で、ところてんの乾物である寒天を、周りの方々に紹介していたということになります。
隠元(いんげん)さんが日本に広めたものは、いんげん豆だけでなく他にも多々あるのですが、お坊さんが御経を唱える際に叩いている木製の法具、木魚(もくぎょ)もそのひとつ。
海外転勤の際に様々な物も持ち込み、それを快く日本の先人たちに分け与えて、教え、伝えてくれた方なのでしょう。
そのようなことを想像すると、大きな土地を贈ってでも引き止めたいと思った当時の方々の気持ちも理解できるように思います。
ちなみに、いんげん豆には吐き気や腹痛といった中毒症状を引き起こす成分が含まれていますので、生で食べることはぜず、沸騰したお湯でしっかりと茹でて召し上がってくださいませ。
いんげん豆の旬は、もう少し先ですけれど、召し上がる機会がありました折には、今回のお話と隠元さんのことを思い出していただけましたら幸いです。
関連記事:
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/