いつだっただろうか。偶然目にした外国の方のSNSに、
笑っているようにも見えるキュートな鹿の接写画像がアップしてあった。
その鹿が、あまりにも良い表情をしていたものだから、
つられるようにして、添えられていた文面を目で追った。
そこには、長年、恋焦がれていた奈良公園の鹿に会うために日本へ行ったことや、
奈良公園の鹿に会えた喜びなどが興奮気味にビッシリと綴られていた。
私は、そこで初めて、その表情豊かな鹿が奈良公園の鹿だということを知り、
近年、奈良公園に魅力を感じる外国人旅行客が増えているという話題を見聞きしていたけれど、
本当なのだと画面越しに実感させられた。
奈良は素敵な場所だ。
自然を肌で感じながら神社仏閣を巡ることができる場所は、珍しいように思う。
しかし、外国人観光客のお目当ては「お辞儀をする鹿」だというのだから、
「鹿なの?」と、少しばかり拍子抜けしてしまう。
奈良公園の鹿が人にお辞儀をするという話は国内でも良く知られている。
私は、お辞儀に見えるその行動を、鹿の習性なのだろうと勝手に思い込んでいたのだけれど、
お辞儀をするのは奈良公園の鹿だけなのだそう。
そして、この奈良公園の鹿特有の習性は、
観光客たちから食べ物をもらうために鹿が自ら学習して得たものだという見方が強いという。
外国では、この奈良公園の鹿の習性と日本人の礼儀正しさを重ね合わせ、
日本人の礼儀正しさが鹿にまで影響を与えているという話にまで発展しているのだとか。
過去のニュースで、奈良公園の鹿に怪我をさせられたという外国人観光客が、
責任の所在をテレビカメラ越しに問いかけている、おかしなニュースを目にしたことがある。
彼らは野生の鹿でありペットではない。
それに、お辞儀をするのは礼節を重んじているのではなく、
彼らが生きるために身に着けた術のひとつなのだけれど、
外国の方々の目に映る日本の鹿は、
外国の鹿と比べると小さくて可愛らしいそうだから、油断してしまうのだろう。
人の本能はどこへ行ってしまったのだろうか。
そのようなことを思いながら指先を動かしていると、
奈良公園の鹿たちは“ジュラシック・パーク”の恐竜のようにも見える、
という書き込みが目に留まり思わず笑ってしまった。
それからというもの、人が手にしている鹿せんべいに群がる奈良公園の鹿たちの映像を目にする度に、
私の脳内を“ジュラシック・パーク”の文字が点滅しながら横切っていくのだ。
私の本能は機能しているのだろうか、そのようなことを思うある日の午後。