春らしい優しい色をしたお団子をいただいた。
ひと足先に、すっかり葉桜になってしまっている桜の枝木を眺めつつ、
温かい煎茶とお団子を交互に口に運ぶ至福のひと時だ。
今年のお花見は、何処へ行こうかしら。
食べ物は何を持って行こうかしら。
そのようなことに思いを巡らせていた時に浮かんだ「花より団子」という言葉。
きっと、この言葉に触れる機会が増える頃かと思いますので、
使う相手を選ぶべき、もうひとつの意味があることも確認しておきませんか。
私たちが「花より団子」という言葉を使うとき、見聞きするとき、
眺めるだけの景色や作品よりも、
美味しく味わうことができる食べ物のほうが好きだ、嬉しい。といった、
食いしん坊であることを表すような意味合いで使ったり、解釈することが多いかと思います。
これは、間違いではないのですが、
「花より団子」という言葉には、「ものの美しさや芸術に対する理解が乏しい人」、
「風流を感じることができない無粋な人」という意味も含んでいるのです。
もし仮に、あなたが誰かに対して「あなたは花より団子ね」と言ったとしましょう。
言った側からすれば、愛情と親しみを込めて発した
「あなたは食いしん坊ね」という意味の言葉なのですが、
言われた側が、「あなたは、風流を感じることができない無粋な人ね」
「ものの美しさや芸術に対する理解が乏しい人なのね」とあなたに言われたと解釈してもおかしくない言葉なのです。
私は、何も感じないことも含めて、本人が感じたことが全てで、
そこに良いも悪いも無粋も何も無いと思うのですが、これも感じ方のひとつ。
中には、芸術などに対して何かを感じなくちゃと思う余り、
自分は芸術が分からないとコンプレックスに感じている方も居たりします。
そのような方が、花より団子のもう一つの意味も知っていて、
「あなたは花より団子ね」と言われたら……心の中がざわついてしまう可能性もあります。
他にも、ご年配の方や上司といった立場の方対して使った場合、
相手やシチュエーションによっては失礼になることもあります。
この言葉は自分自身に対して使う分には問題ないのですが、
本来は、相手に対して発する場合は、
相手との関係性を踏まえた判断が必要になる言葉でもあるのです。
もうひとつの意味を知っていれば、
気付かぬうちに誰かを傷つけてしまうようなこともないですし、
相手がどのような意味合いで使ったのかを察することができるので、
もし上記のようなシチューションに居合わせたときには、
フォローに回ることもできるかと思います。
このような「言葉」のお話をさせていただくことがありますが、
誰かの間違いを正すためではなく、
温かいやり取りを交わしたり、
ものごとを深く感じ取って日々を楽しむための知識の欠片として、
皆さんの知識ボックスの隅にそっと忍ばせていただけたなら幸いです。
今日もココロポッカポカでまいりましょ。