夢の中で、読みかけの本や楽しんでいるドラマや鑑賞した映画の世界にトリップすることがある。
目覚めてすぐ、「あー、あのシーンで心を揺さぶられたからだ」と察しが付く。
そして、触れた作品がホラー映画でなくてよかったと胸を撫でおろすのだ。
その日は、夢の中でリズミカルな木魚の音が聞こえてきた。
木魚とは、お坊さんが御経を唱える際に叩いている、あの木製の法具のことだ。
もとは、中国の仏教法具として使われていたそうなのだけれども、
これが、江戸時代辺りに日本に伝わり、現在もお寺やご家庭などで使われているという。
中は空洞で側面には隙間があり、これを革や布で包んだバチで叩いて使用する。
この構造はスリットドラムと呼ばれる楽器の構造に似ているそうで、
これに似た楽器を歌舞伎で使うこともある。
お寺で使われる木魚は、一定のリズムで叩き続けることで、気持ちを静めて、集中力を高め、読経を行うことにひと役買っている。
お坊さんが御経を唱えながら叩く木魚なのだから、
気持ちを静めたり集中力を高める以外にも、
何かしらの意味合いや術のようなものがあるに違いない。
そう勝手に思い込んだ私は、観光でお邪魔したお寺のお坊さんに尋ねたことがある。
しかし、返ってきた答えは実にシンプルなものだった。
もともと木魚は、眠気覚ましアイテムだったそうなのだ。
修行を積んだお坊さんとは言え、御経を長時間聞き続けたり唱えたりすることは、
それなりに辛いものがあり、船を漕いでしまうことが無いわけではないという。
それを少しでも御経やお経を唱えることに集中できるよう、
木魚というアイテムが誕生し、これを叩くようになったのだとか。
そして、どうして魚がモチーフになっているのかと言うと、魚は眠らないと考えられていた上に、
魚には瞼がないため、ずっと目を開けているように見えることから、
お坊さんは、決して目を閉じない魚、眠らない魚のように修行に専念するようにという意味も込められているのだとか。
時々、木魚を叩くことによって音と共に煩悩が消えていくという説も在るそうなのだけれども、
正直に言うのであれば、「眠気覚まし」とのことだった。
その日、夢の中に響いていた何度目かの木魚の音で体を起こした私は、
仕事に使う資料を読みながら眠ってしまっていたことに気付いた。
お寺の資料でも木魚の資料でもなかったのだけれども、
たまたま登場した木魚という言葉に私の何かが反応したようだった。
私の場合は、木魚の音を居眠り防止ではなく目覚まし代わりにしてしまったけれど、
木魚のことを教えてくださったお坊さんがいらっしゃるお寺のことを思い出しつつ、
修行を積んだお坊さんも、お坊さんである前に、一人の人間だということだと思う夜となった。
木魚と一口に言いましても、今は様々なデザインがあるそうです。
木魚を目にする機会がありましたら、今回のお話をチラリ思い出していただき、
デザインチェックなどをしながら眠気を飛ばしていただけましたら幸いです。